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第四回紹介作品

タイトル

『リバー・ランズ・スルー・イット』
1992年、監督ロバート・レッドフォード 原題 A River runs through it 124分
配役 ポール(ブラッド・ピット)、ノーマン(グレイグ・シェーファー)

紹介者

栗原好郎

作品の解説

原作はノーマン・マクリーンの「マクリーンの川」という自伝的作品だが、人は過去を思う時、そこに失われたものを再構築し、現在の自分の係留点を見出そうとする。そうしたプロセスを経ることで、われわれは人生をかけがえのないものと感じ、失われた時への愛惜の情を強くするものなのかもしれない。

この作品では、モンタナの川の流れを時の流れと重ね合わせながら、思い出の中で時間を共有する契機にしている。人間の日々の営みに終わりがあるのに対して、川の絶えざる流れは悠久不変であり、その川で繰り返されるフライ・フィッシングというスポーツは、人間のバイオリズムと自然の営為とが奏でるハーモニーなのである。
観客はいつの間にか、こうした画面の中の永遠の風景に、自ら溶解していくのを感じる。循環する川の営みに思い出を託する時、それは時空を超え、永遠のものになるのかもしれない。朝日に映える川面やモンタナの牧歌的な風景が、マクリーン家の幸福と不幸を暗示しながら、われわれを名状しがたい陶酔へと誘う。

ノーマンにはポールという三歳年下の弟がいたが、ポールはフライ・フィッシングの名手であり、神のリズムをなぞったようなこのスポーツは、彼をこの世を超えた空間に立たせていた。
ノーマンは、不器用である自分と違って才能に恵まれているのに、それを発揮する場を見出せず、身を持ち崩してしまった弟ポールへの愛惜の情と彼との確執を清算するために、この小説を書いたということである。七十を越えて書き出されたこの小説は、決して感傷に溺れることなく、対象に一定の距離を置いて書かれている。
長老教会派の牧師である彼らの父も、やはりフライ・フィッシングの名人であり、彼らにとって、宗教とフライフィッシングとのはっきりとした境界線はなく、神に祈りを捧げることと釣りをすることは同義語だった。

レッドフォード監督はモンタナの崇高なまでに美しい自然を背景に、家族の問題にこだわり続ける。これは彼の第一回監督作品である「普通の人々」以来のテーマであり、本作品でもすべてにおいて対照的な兄弟とその背後に厳格な父を配置することで、「エデンの東」に通じる聖書的主題をも追求している。
ただ、「エデンの東」が旧約聖書のカインとアベルの兄弟のエピソードを骨子として、父親の愛情を得られない弟の屈折した心理を中心に展開するのに対して、この作品ではむしろ、父と子という関係以上にノーマンとポールという兄弟の、一方で引き合い、また一方で対立しあう関係を中心に物語が繰り広げられる。
若い頃、理解しあえなかった兄弟の溝が、年を経るごとに少しずつ縮まっていき、老境に達したノーマンの中で、二人のわだかまりは川の流れに洗い流されていく。

ラストの日暮が迫ったモンタナの黄金色の川面の輝きと、そこで釣りを続ける老境に入ったノーマンの、皺が目立つが精悍な顔からは、明らかに弟ポールへの深い追憶を窺い知ることができる。黄金色が聖なる輝きを見せる中、彼の追憶の数々は、川の水音と四拍子のキャスティングのリズムによって恍惚としたきらめきを残しながら流れていく、すべての存在をその中にない交ぜにして。
マクリーン家の幸福と悲劇は一つに溶け合い、その中を川が流れていく。ノーマンをとりこにしながら。

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