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第5回紹介作品

タイトル

『ノスタルジア』
1983年、監督アンドレイ・タルコフスキー 原題 Nostalghia 126分

紹介者

石橋邦俊

作品の解説

思い出される『ノスタルジア』

 一年にどれほどの映画が作られているのか、僕には見当がつかない。もともと「映 画通」でもないのだ。映画の割引券を集めたり、映画雑誌を漁って映画館へ行ってい た若い頃には、レンタルショップどころか、ビデオ・デッキもなかった。テレビの「 映画劇場」を除けば、映画館へ行くよりなかったのである。

 最後に映画館へ出かけて、多分、5年以上になる。関心が薄れたのは自分の都合で あって、映画のせいでは無論ないが、一体、今作られている映画のどれほどが映画館 を必要としているだろうかと疑問に思い続けている。外部から遮断された空間とあの 大きな見上げるようなスクリーンがなくてはならない映画は、どれほどあるだろう…。

 タルコフスキーの作品には、このふたつがどうしても必要なのである。(例外をひ とつだけ認めるなら、「SF超大作」風の『惑星ソラリス』だろうが、少なくとも「ソ ラリスの海」と地上(?)でのラストシーンには、大きなスクリーンが僕は欲しい。)

 幸い僕はタルコフスキーの全作品を映画館で見ることができた。その始まりが『ノ スタルジア』だった。映画好きの友人が勧めてくれたのだったが、初めて耳にした監 督と作品の名前だけで見に行くのを決めた。予備知識があったわけではない。

 幸運だったと言ってよいと思う。イタリアのフィルムと映像技術を用いたこの作品 は、タルコフスキーの映像の中にあっても、繊細さ、鮮明さにおいて際立ち、「ミリ 単位の精度」と評されたこの映像作家の美質が最大限に映像に定着されている。カラ ー映像は言うまでもなく、モノクロームの箇所でも明暗の混じり合うニュアンスは実 に適確だ。

 初めて見た『ノスタルジア』は、映画館のロードショーではなく、二日か三日の特 別上映会だった。その頃は観客の入れ換えがなかったので、二度、続けて見た。二度 目はさすがに少し眠ってしまったが、映像が全身に染み入って来るような感覚は、心 地良いという以上に、いわば自分が溶け出しながら、同時に、自分の究極の一点に帰っ て行くような、不思議な感動だった。どうしてもスクリーンが必要なのである。

 翌々日、通学途中の電車の中で、何故か本が読めなくなった。手をおろして見ると もなく窓を見ていると、『ノスタルジア』の様々な場面が、音をともなって頭に浮か び上がってくる。思い出すのではなく、思い出されてしまうのである。タルコフスキ ーがフィルムに定着させた映像は、そして音は、『ノスタルジア』では殊に美しい。 忘れられないのではなく、自分の意識や無意識の追憶の記憶の底に、それはどうやら 沈みこんで行くらしい。それまでうっとうしく思えていた梅雨の雨が、『ノスタルジ ア』のおかげで、僕にはさほど苦にならなくなった。一本の映画で人が(少し)変わっ た。

 それから、機会あるごとにタルコフスキー作品の上映に行くようになった。何度も くり返して見た。今で言う「ミニシアター」での上映は、大抵、二本立てだったから、 もともと長いタルコフスキー作品の場合、これを2サイクル続ければ半日ほどかかる。

 遺作となった『サクリファイス』は12回だったっけ…ほとんどすべてのシーンを記 憶し、眠れない夜には羊の代わりに、そのカット数を勘定したりできた。

 ただし、ビデオ・デッキやソフトが、今のように普及していなかった時の話だ。タ ルコフスキーの作品には、劇場の大きさのスクリーンと、外部の音を遮断した空間が 必要である。ストーリーを追うだけならともかく、作家がしかけた言葉と音と映像の 仕掛けを発見し、作品を読み解きながら、少しづつでも自分のものにしようとすれば (タルコフスキーはそうするに足る映像作家だと思う)、どうしても映画館で見るし かない。しかし、その機会はもう、ほとんどなくなったのかも知れない。

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