図書館トップ > CineTech home > 第6回紹介作品

第6回紹介作品

タイトル

『こころ』
1955年、監督 市川崑 121分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

 市川監督は文芸作品をよく映画化している。竹山道雄の「ビルマの竪琴」とか、谷崎潤一郎の「鍵」、「細雪」、また幸田文の「おとうと」、島崎藤村の「破戒」、大岡昇平の「野火」、さらに夏目漱石の「こころ」、「吾輩は猫である」など。ただ小説を映画化するのは難しい。
 単純に考えても原作全体を逐一、映画化することは二時間くらいの範囲では所詮、無理な話である。また原作を読みかじったものには、映画と原作との違いはどうしても気になるところである。結局、原作と映画は別物という認識で臨む方が、両者の表現方法の相違を考えると適当なのかもしれない。ただ今回は比較的原作に忠実な作品「こころ」を扱う

 漱石の原作では、具体的な名前が与えられているのは静だけであるが、映画では先生は野渕、Kは梶、私は日置という風に先生の奥さん以外の人物にも名前が与えられている。また、小説では細かい情景の描写は必ずしも要求されないが、映画では「必要なこと」、「必要でないこと」が両者の区別なく画面に映し出される。だから、映画を作る時には舞台装置の細々した部分にまで配慮しなければならない。原作に書かれていない部分も必要とあらば設定しなければならない。

 さて「こころ」は野渕を演じた森雅之や、梶を演じた三橋達也などの活躍で一応成功を収めているが、一箇所、演出上で不満が残っている。それは次の場面である。
 つまり、梶から下宿のお嬢さんへの愛を打ち明けられた野渕は、卑劣にも梶の留守中に、それも母親の方に、お嬢さんを欲しいと申し出る。その日のうちに梶は、母親の方から自分の娘と野渕との結婚の話を聞かされるわけだが、ちょうど下宿に戻ってきた野渕がそれを聞いてしまう場面。ちなみに小説では先生とお嬢さんの結婚が決まって三、四日経って、Kは二人の結婚のことを奥さんに聞くという展開になっている。さらに奥さんが自分達の結婚話をKに伝えたことを、後で先生自身は知るという巧みな構造になっている。
 「秘密」が漏れてからの二日余りの間、Kは先生に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、先生は全くそれに気が付かなかったと漱石は書いている。Kの超然たる態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すると考えた先生は自分は策略で勝っても人間としては負けたのだ(ちくま文庫版 p.265)と後悔の念に駆られる。先生がそのことをKに話そうかどうか迷っているうちにKは自殺してしまう。この二日余りのKの超然たる態度は、先生を一生、自責の念で苦しめ続けることになる。こうしたいわゆる「認識のずれ」が、物語を起伏に富んだミステリアスなものにしているのである。

 別に原作に忠実に映画を作れと言っているわけではないが、この場面では、梶は自分たちの結婚話を知らないと思っていた野渕が、実は梶は知っていて、そのことを最後まで話さなかっただけだということを後で野渕が知るから面白いのである。その日のうちに、梶と奥さんの話を野渕が聞いてしまっては面白さも半減してしまう。結婚のことを知った後でも平静を装う梶の姿を、苦い後悔を交えながら野渕が回想するから一層、その後悔も苦いものになるのである。

 漱石の作品のように、見えない部分や知り得ないことを背後に隠し持っているからこそ、小説の構造は厚みを増すのである。映画も然り。

ページの先頭へ戻る