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第104回紹介作品

タイトル

『乱れ雲』
1967年、 監督 成瀬巳喜男 108分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

成瀬巳喜男の遺作である。 黒澤明、小津安二郎、溝口健二などと異なり、様式美や華麗さという言葉からは程遠い成瀬作品には、しかし、貧しいながらも確かに生きている人間が描かれている。 黒澤作品によく出てくる英雄はどこにも出て来ないし、むしろ出てくるのは、しみったれた男ばかり。 それに女の方も極めて台所感覚に徹している。 原節子なども小津作品の女神のような輝かしい彼女と違って、『めし』(1951年)や『驟雨』(1956年)では、くすんだ、所帯やつれした倦怠期の妻を演じている。 『めし』では、働きに出ようと考えて職安に行ったりする。 『驟雨』では、安月給の夫と暮らしながら、家計のやりくりに追われている。 「あの奥さんは、豆腐ばかり買っている」と近所の主婦に陰口をたたかれたりしている。 成瀬は原節子さえも台所に立たせずにはおかないのである。 成瀬映画の常連である高峰秀子は、『わたしの渡世日記』の中で、そういう成瀬をこう評している。 「彼の映像に現れるのは、ゴミゴミとした風景であり、安普請の長屋であり、ラーメンやお茶漬けや、風采の上がらない男女である」と。 成瀬は「女性映画の監督」と言われているように、女性を主人公にした作品を多く撮っている。 『めし』を初めとして、『稲妻』(1952年)、『晩菊』(1954年)、『浮雲』(1955年)、『流れる』(1956年)、『放浪記』(1962年)などと実に多い。 しかも女性たちは、奇麗に着飾った令嬢や夫人ではなく、社会の周縁にいる生活感のある女性である。 そしてしばしば、彼女たちは「働く女」である。 タイピスト、バスガイド、事務員、農婦、商店のおかみ、バーのマダムや芸者と、その仕事は実に多岐にわたっているが、いわゆる「キャリアウーマン」はほとんどいない。 それは颯爽と働いている女性と言うより、むしろ、生活のために仕方なく働いている女性たちである。 と言っても、彼女たちは決して生活に打ちひしがれてはいない。 自分の置かれた環境を受け入れ、淡々と生きている。 「自立」を大仰に主張するわけでもなく、また自分の不幸を言い立てる事もしない。 自分の問題を社会の問題に還元することなく、あくまで個人の問題として生きようとする芯の強い女性たちである。 『乱れ雲』では、『乱れる』(1964年)で義姉を愛する青年を演じた加山雄三が、自動車事故で人を殺してしまう主人公に扮している。 『乱れる』に引き続き成就しない愛をテーマに、それを極限状況にまで推し進めたのがこの成瀬の遺作である。

官僚と結婚した江田由美子は、初産を控えて幸福の絶頂にあったが、夫は三島史郎の運転する車にはねられて死んでしまう。 堕胎した由美子は勤め始めるが、裁判で不可抗力の事故であることが判明した三島は、無罪となってしまう。 しかし、この事故が原因で三島は青森に左遷され、常務の娘との婚約も解消される。 人を殺したことで悩む三島は、由美子に謝罪しようとするが、彼女に拒絶されてしまう。 仕事を見つけられず、婚家を除籍された由美子が十和田湖畔の実家に帰ると、偶然に三島と再会する。 互いに心に傷を負った二人はやがて道ならぬ恋に落ちるが、過去を忘れられない由美子は結局、三島と別れてしまう。 哀切な武満徹の音楽が抒情性を一層かき立てる。

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