第109回紹介作品
タイトル
『イル・ポスティーノ』
1994年、 監督 マイケル・ラドフォード 108分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
ふとしたことから、マリオは世界的な詩人ネルーダへ郵便を届けることになる。 ネルーダは共産主義者で、そのために祖国を追われ、ナポリ沖合の島へやってくる。 彼宛の沢山の郵便物を届けるのがマリオの仕事である。 マリオは次第に詩人の抒情的な世界に引かれていく。
この映画は1994年ヴェネチア映画祭のオープニング作品として上映され、マリオを演じた主演のマッシモ・トロイージに捧げられている。 彼は心臓が弱く、一日二時間という限られた時間で撮影を続けたが、撮影終了の翌日、41歳という若さで亡くなっている。 自分の死を確実に予感していた彼は、この作品にとりわけ心血を注いでいたことは間違いない。 自分の心臓のひとかけらをこの映画の一部にしたい、とまで語っていた。 この作品は文字通り、彼の遺作となったわけだが、健康が許せば、きっとこれは彼の監督作品になったであろうことは想像に難くない。 原作はアントニオ・スカルメタの同名の小説。 それをイギリスのマイケル・ラドフォードが監督し、イタリア映画として制作されている。 小説ではチリの貧しい漁村が舞台になっているが、映画ではイタリアのナポリの風光明媚な漁村に舞台を移している。 残された人生の最後の輝きを見せるマッシモの絞り出すような演技は観客の共感を呼び、彼の一挙手一投足に観客の目は釘付けになってしまう。
ネルーダは母国の政情が変わり、チリに帰ることになる。 ノーベル賞を受賞し、名声をほしいままにしてしまったネルーダはマリオたちのことを忘れてしまったのか。 彼からの手紙は一通も来ない。 時が過ぎ去り、詩人は昔を懐かしむかのようにこの島を訪れる。 だが、詩人はマリオの不運な最期を聞くことになる。 昔、ネルーダの「この島で一番美しいものは何か」という問に、マリオは「ベアトリーチェ・ルッソ」と答えたことがあった。 その時のマリオは島の美しさに思いを致すことはなかった。 詩人が去った後、彼は島の至る所に美を見出すようになる。 マリオとの思い出に浸りながら、詩人が一人寂しげに海辺を歩いていくところで映画は終わる。 苦いが懐かしくもある思い出。 束の間の懐旧の情は妙に人を感傷的にする。