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第11回紹介作品

タイトル

『乱』
1985年、監督 黒澤明 162分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

 黒澤は「乱」において、今までのクロース・アップを捨ててなぜロング・ショットにこだわったのだろうか。 黒澤の映画は三船とのコンビが解消された「どですかでん」(1970年)以降は大きく変容している。 「酔ひどれ天使」(1948年)から「赤ひげ」(1965年)までの黒澤作品には、 三船は「生きる」(1952年)を除いてすべてに出ている。 その意味では、黒澤の戦後は三船と共に歩んできたと言っても過言ではなかった。 三船の動きがクロース・アップで画面に映し出される時、 観客は黒澤の表現媒体として三船が不可欠なものと痛感した。 黒澤にとって動いてないものは死んだも同然だった。 周りの風景よりはるかに重要なものとして三船の姿があった。しかし「乱」ではどうだろう。 仲代達也演じる一文字秀虎も隆大介演じる三郎直虎も、時として顔の表情すらつかめぬロング・ショットで映し出されることが多い。 自然の点景として人間の運命も他の背景と等価のものとして表現される。 そこには黒澤がよく描いてきた師弟関係もない。 黒澤のヒューマニズム臭があまり感じられず、むしろペシミスティックな運命論のようなものを感じてしまう。 原作のシェイクスピアの持つ人生観がそうさせるのか。 「ロミオとジュリエット」や「オセロ」にせよ、「乱」の原作である「リア王」にしろシェイクスピアの悲劇は、登場人物の死によって終わる。 そして何事もなかったかのように世界は営みを続ける。善玉も悪玉も最後は全て死に見舞われる。 ただ「乱」の場合、ラストで、末の方の弟鶴丸が崖上から転落するかと見せて、阿弥陀様の絵姿が現れ危機一髪のところで鶴丸を救う。 このシェイクスピアにはない最後のわずかな救いは、やはり黒澤のヒューマニスト的一面がのぞいている。 しかし、生き残った鶴丸の目はつぶされて世界を見ることはできない。 荒廃した乱世はむしろ見ない方が幸せというのだろうか。 遠目には人物と判然としない鶴丸の姿が、夕焼けか血に染まった空か、あるいはその両方か、 とにかく真赤に染まった自然の点景としてかすかに浮かび上がる時、われわれは人間の業の深さに思いをいたすことになる。 神に対して人間の無力を象徴させる登場人物の死にようは運命論的ではあるが、鶴丸の目が夢想する世界に黒澤は何を見ていたのか。 「まあだだよ」の従容として人生を受け入れる姿勢へとつながる何かを、そこに見るべきなのか。 黒澤が晩年、彼と対照的と思われていた小津の「東京物語」を繰り返し観ていたというエピソードが語るような 人生観の転換があったのか。 人生をあるがままに受け入れる諦観にも似た姿勢は、末の方の仏道への帰依にもはっきりと表れている。 それは確実に小津の人生観とつながる。

 小津は40代の後半で「晩春」を、50歳で「東京物語」を撮っているが、従容として死を捉えるイメージに満ちている。 その死への欲動はどこから来るのだろうか。 まず、従軍した経歴が小津の死生観に大きな影響を与えたことは想像に難くない。 死と隣り合わせの戦場においては、喜怒哀楽という基本的な人間の感情も麻痺してしまうだろうし、 抗うよりそれを受け入れることで人生と折り合いを付けることを余儀なくされる場面が多かったのではないか。 だから、戦後の「晩春」あたりから作品が変容していく。 もちろん、志賀直哉や里見クなどの白樺派との関わりも看過できないだろう。 以前からその作風に強い影響を受けていた小津が、彼らと近く接することも、 その作品世界を映像化しようとしたことも、小津の作品に変化をもたらしたと言えよう。 一方、黒澤は小津のような軍隊経験がないまま戦後を迎えている。 ほとんど同年齢の本多猪四郎が戦場での修羅場を通ったことで、 「ゴジラ」という当時はゲテモノ趣味と思われていた怪獣映画に手を染めることになったことと好対照である。

 黒澤の登場人物は、動いている者だけが生きていて、動かない者は死んだも同然だった。 その意味で、小津の映画の登場人物のように従容として人生を受け入れ、 折り合いを付けていくことは彼の映像理念に反するものだった。 戦場での実践の経験が持つ限界状況を黒澤は想像することはできても、自分の映画に取り込み、 血肉化することはなかった。 だから、彼の映画の主人公は死を意識してもそれを乗り越えようとする。 それは時として、「生きる」の渡辺課長のような神がかりの人物を創造することになる。 それが晩年に至り、自らの死と向かい合った時、 小津が描いた従容とした世界観への共感へつながっていったとは言えないだろうか。 それは、シェイクスピアの世界を映画化するにあたり、 まず「マクベス」を翻案した「蜘蛛巣城」を撮り、後年、「リア王」の映画化である「乱」を撮ったことにも現れている。 前者より後者の方がより一層死への欲動が強いことは明らかではないか。 自らの死が迫った時に黒澤の死生観にも変化が訪れたということか。

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