第110回紹介作品
タイトル
『卵』『ミルク』『蜂蜜』
2007年/2008年/2010年、 監督 セミヒ・カプランオウル 97分/102分/103分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
映画音楽というジャンルがあるが、カプランオウルのユスフ三部作には一切音楽が使われていない。 自然の営みが集音されていて、それが音楽の代わりをなしている。 ある時は森のざわめきが、またある時は風のそよぎが、 静謐な映像に哲学性を与えている。 ちょうど、タルコフスキーの作品がそうであるように、画面自体が、映画自体が音楽を産み出している。 普段、聞き逃している風の音に気付く時、観客は自然の営みの神秘性に打たれるだろう。 説明を極力排した画面の持つ緊張感と多義性は、観客の想像力を呼び覚ます。
ユスフの生涯が、壮年期、青年期、少年期と遡って描かれることで、観客は自らの過去へのノスタルジーをかき立てられる。 一方で、なぜそうなったのか、という疑問が象徴的ではあるが解明される構造にもなっている。 ただ、台詞が極めて少なく、因果関係が持つすわりの良さは一切画面から排除されているので、観客は自由に連想を続けることができる。 三部作最後の『蜂蜜』(2010年)では、ユスフ少年はとうとう失語症になってしまう。 言葉で表現できるものは実は限られていて、 言葉を超えたものの存在をひたすら感じさせる作品だが、日常のかき消されてしまった音が甦る時、おだやかな気持ちになれる。 状況は悲観的なものであっても、それを受け入れるしかないと諦めていくことを決して否定しない所は、小津安二郎の大船調の戦後の作品群とも共通している。 ユスフは、三部作最初の作品である『卵』(2007年)では、詩人となっているのだが、映画自体が詩を読むように喚起力に満ちている。 その意味で決して説明的ではない。 人工的な音を排した、自然光に包まれた画像は、映画の原点である映像そのものに注意を向けさせる。