第111回紹介作品
タイトル
『ニーチェの馬』
2011年、 監督 タル・ベーラ 154分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
ほぼ2時間半の映画の大半は嵐が吹き荒れている。 映画は6日間のルーティーン化された日常が猛烈な嵐を背景に繰り返されるだけである。 極度に緊張すると静止して見えるがごとく、ルーティーン化された日常の繰り返しは、むしろ観客の心を動揺させる。 動きの少なさと繰り返される不協和音のような音楽は、少しずつズレを生じていき、ついには人類を終末へと導く。 それはさながら旧約聖書のノアの方舟に乗せられたような父娘が、水を絶たれ、やがて火も使えなくなり、滅びて行くがごとく、廃墟で映画が終わるのに呼応する。 退路を断たれた二人は逃げる事すらできない。 背後に忍び寄る終末への予感が、希望のない未来へと観客の視線を誘う。 タルコフスキーも終末論的な映画を撮ったが、最後にわずかな救いが用意されていた。 『サクリファイス』においてもそうだ。 それは未来への希望。 しかし、このタル・ベーラの作品にはそれはない。 ただ、世界の終末へと運命づけられたものたちを淡々と描写するだけだ。 世界が終末に向かっていてもわれわれは日常の単調な営みを止める事はできないのだ。 驚異的な長回しのキャメラがその単調さを際立たせ、黙示録的世界を戦慄と共に暗示させる。 デンマークの巨匠ドライヤーの『怒りの日』を彷彿させる。 希望すらも奪ってしまう殺伐とした状況。 最後に不毛の世界の静けさの中で世界が死を迎える時、観客は凍るような眼差しで画面を注視するしかないのだ。