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第115回紹介作品

タイトル

木下惠介の再評価〜『二十四の瞳』を中心に〜
1954年、 監督 木下惠介 156分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

1943年に『花咲く港』で監督デビューした木下は、この作品で山中貞雄賞をとり、前途洋々たる映画人生を歩み始める。 同年に黒澤明も『姿三四郎』でデビューし、タイプは異なるが、良きライヴァルとして終生競い合う事になる。 『カルメン故郷に帰る』(1951年)は日本初のカラー作品だし、後年大女優となる高峰秀子はこの作品で木下映画デビューを果たす。 『二十四の瞳』(1954年)はその高峰を主演に据えて、小豆島を舞台に撮った作品である。 原作がプロレタリア作家の壺井栄の同名小説なので、反戦映画という見方もできよう。 ただ、頼りになる小学校教師大石先生という展開ではなく、生徒の不幸を我が事のように受け止め、生徒と共に泣く、文字通り「泣きみそ先生」としてスクリーンに投影されている。 つまり、大石先生の共感の意識が生徒の悲しみを少しだが和らげている。 悲しみの時間を共有することで、一時的ではあるかもしれないが、悲しみは昇華される。 相手のために自分の「時間を無駄にする」ことが、私たちに出来るほとんど唯一の事であり、相手を悲しみの淵から救い出せる機縁となりうるのだ。 サン=テグジュペリの『星の王子さま』でも王子とキツネの会話の中に、同様の一節を見出せる。 最近の木下再評価の言説にならえば、対決するのではなく寄り添うことの方が、どうにもならない状況にかすかな慰めと安らぎをもたらす。 それは運命を受け入れて生きるしかない私たちに、むしろ生きる勇気を与えてくれる。 精一杯頑張って生きてきたのに、人生がことごとくそっぽを向いてしまうことも多い。 薄幸の人生を終えようとしている肺病のコトエが、「先生、わたし苦労しました」というと、大石先生は「そうね、苦労したでしょうね」と声を詰まらせる。 何もしてあげられない無力感にさいなまれる大石先生は、勉強の良くできたコトエが辿った不幸な末路を共感を込めて想像する。 そして涙する。

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