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第13回紹介作品

タイトル

『宇宙大怪獣ドゴラ』
1964年、監督 本多猪四郎 81分

紹介者

石橋邦俊

作品の解説

 「どうしてこんなに血が騒ぐんだぁ!」というオートレースのコマーシャルも、も う古くなった。「ゴジラ」や「ガメラ」、「怪獣映画」と聞けば、人生の半ばを過ぎ ているというのに何かしら気にかかるのは、育った時代のせいだ。テレビの『ウルト ラQ』が『ウルトラマン』に変わり、田舎のわが家にカラーテレビが据えられた頃、 夏と冬の休みには特撮ものやアニメが映画館の定番だった。ゴジラ・シリーズの東宝 に「まんが祭」の東映が対抗し、やがて「ガメラ」と「大魔神」の大映が続いた(日 活の『ガッパ』と松竹の『ギララ』は一作限りだった)。その頃の怪獣映画が身にし みついているのだ。

 最初に映画館で見た怪獣ものはアメリカ映画で、1シーンを除いて忘れてしまって いるけれど、「ゴルゴ」とかいうような、濁点の多い表題だった。テレビの『マリン コング』も同じ頃だったと思う(実写ものだったが、肝心のマリンコングはほとんど 出て来なかったようだ)。

 1954年の『ゴジラ』に始まる東宝の特撮シリーズすべてを映画館で見たわけではな い。新天町を破壊する『ラドン』(1956)を記憶しているが、おそらく、リバイバル 上映だったのだろう(56年では、僕はまだ生まれていない)。『モスラ対ゴジラ』、 『キングコング対ゴジラ』あたりから、はっきりと思い出すことができる。

 子供の僕を何が惹きつけていたのか?

 当時の怪獣映画には、巨大生物の襲来や怪獣どうしの戦いをメインに置いていなが ら、日本全国の名所案内という要素も含まれていた。モスラがマユをかける東京タワ ーは言うまでもなく、アンギラスやゴジラが破壊する大坂城や名古屋城、ラドンが生 まれる阿蘇山や翼を傷つける西海橋など、案外に万遍なく、あの頃の観光スポットを 紹介していたように思う。「核実験に警鐘を鳴らす映画として『渚にて』に匹敵する」 と評された『ゴジラ』から時代は移って、「家電」が居間や台所の床を占拠していく 高度経済成長期だった。だが、そんな「右肩上がり」の時代に、文明・文化の粋を具 現した大都市を破壊する怪獣どもに僕(ら)は熱を上げていた。

 第一作の『ゴジラ』の制作時、特技監督の円谷英二は、予定の撮影が終った後も夜 遅くまで、奇妙な風に腕をひねったり頭を曲げたりしていたという。着ぐるみのゴジ ラの「人間」を意識させないよう、「ヒト」ではない、動物の動きを編み出そうと苦 心していた(そして、初めてゴジラを演じた中島春雄は、上野動物園の象や熊の檻の 前で、周囲の人の目など気にもかけず、懸命に動物の動きをまねていた)。スクリー ンのゴジラのぎこちない動きや姿勢は、確かにそこに、絶対に人間ではない何か、人 間と何も共有していない何か巨大なものがいることを、一種本能的な恐怖と違和感と ともに実感させたのである。初代ゴジラのこのいびつさは、後年、薄められていくが、 円谷が関わっている間は(彼は1970年に他界した)、例えばキングギドラの造形や動 きに見られるように何かしら残されていたと思う。いたずらに重々しく歩き回り、む やみに飛び道具を繰り出すリメイク(84年)後のゴジラにはない、怪獣ものに不可欠 な何かである(と僕は思う)。

 特撮と並んで東宝の怪獣ものを引き立てていたのが音楽である。伊福部昭を第一作 『ゴジラ』・音楽担当として起用したのが誰であったか知らないが、以後の怪獣映画 は伊福部ぬきでは考えられない(「こどもの味方」ガメラは別として)。洗練された、 所謂「クラシック」とは異なり、北方民族の民謡を収集し、バルトークやストラヴィ ンスキーに早くから注目していたこの異才の創作した、まがまがしい旋律と原色の色 調、延々と紡ぎだされるリズムは、彼のクラシック作品より、怪獣・怪奇映画に似合っ ている。夏冬の休みごとに怪獣ものを見ていた僕らの音楽的感性の一部は伊福部の劇 伴によって形作られたと言ってもよいだろう。例えば超常現象やU.F.O.を思い浮かべ る時、伊福部節を脳裡に再現する僕たちの世代は少なくないはずだ。

 さて「ドゴラ」である。石炭などの炭素をエネルギー源とするクラゲ状の怪物に「 着ぐるみ」は使われていない。今の僕らの目には随分、幼稚にも微笑ましくも見える が、特撮担当者にとっては、ある意味、冒険であると同時に腕の見せ所でもあったろ う。若戸大橋の破壊シーンにはおぞましさすら感じられる(北九州と筑豊も舞台です)。

 ストーリーも、ドゴラの出現に国際ギャング団と国際警察の「捕り物」を重ねた二 重設定であり、後者のコミカルな展開は、一連の特撮映画の中でも異色だろう。因み に、天本英世がギャングの一人に扮しているが、もともと二枚目俳優として銀幕にデ ビューしたというこの怪優の特異な風貌も子供の僕に忘れられない印象を与えた。東 宝の怪獣ものはもとより、岡本喜八の『殺人狂時代』『日本の一番長い日』なども、 彼なしでは想起できない。台詞のないワンカットだけの役ですら、余人に替え難い空 気を映像に刻印していたのだ。

 世界中で蜜蜂が減少しているものの、原因は不明だと言う。もしかして…

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