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第134回紹介作品

タイトル

小津は果たしてトーキーを撮ったのか?(小津映画の普遍性) その二

紹介者

栗原好郎

作品の解説

〜その二〜

クローズアップを使わず、セリフを始め、首、眼、手の位置や動きまで前もって決められている小津の世界は、 まさに静物写真を撮る時のように、モノと対峙しているような感覚で役者を捕えている。 さらに一人の人物を掘り下げていくのではなく、 人と人との関係、人とモノとの関係、あるいはモノとモノとの関係を丁寧に、悠揚迫らぬタッチで描いた小津。 何枚かの空ショットに始まり、人物が登場し、やがて退場、そして最後はまた空ショットで終わる省略の効いた作品群は、小津も好きだった俳句にも似て余情を醸す。 語られない部分が多い作品こそ、そこに深読みをし、誤読をする自由が与えられる。 これが小津作品に世界性をもたらしている要因ではないだろうか。

空舞台ショットや情景ショットの多用も『一人息子』から始まる。 空ショットに始まり空ショットに終わる小津の作品は、 まさにシェイクスピア時代の舞台と類似している。 シェイクスピア時代は幕がなく、舞台は始まる前から丸見えで、芝居の始まりは人物の登場であり、 終わりは人物の退場であった点も小津作品と似ている。

また、ローポジションのキャメラからの見上げる構図は、当時の観客席からのスクリーンへの視線を考慮している。 エル・グレコの祭壇画のように見上げてこそ意味ある構図なのだ。

    

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