第135回紹介作品
タイトル
小津は果たしてトーキーを撮ったのか?(小津映画の普遍性) その三
紹介者
栗原好郎
作品の解説
〜その三〜
映画は写真の集合体だが、写真に時間という次元を導入したのが映画だとすれば、物語が渋滞しても、 映画という芸術は時間的前進を運命づけられている事になる。 時間芸術としての映画。 輪廻とか無常という事をよく小津は口にするが、 生成する世界は、個々の物語を超えて、何ら変わることなく進んでいく。 しかし、小津の墓碑銘が『無』であるように、 輪廻転生の果てに彼が行き着いたのが『無』だったとしたら、遺作の『秋刀魚の味』(1962年)の最後で、愛娘を嫁にやった笠智衆が口にする『一人ぼっちか』という言葉は何を意味するのか。 同年に最愛の母親を亡くした小津の言い知れぬ孤独感を象徴している気もするが。