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第136回紹介作品

タイトル

小津は果たしてトーキーを撮ったのか?(小津映画の普遍性) その四

紹介者

栗原好郎

作品の解説

〜その四〜

東京朝日新聞での田坂具隆との対談(昭和14年8月)で、中国戦線から帰還した小津は次のように述べている。 「僕はもう懐疑的なものは撮りたくない。 何んというか戦争に行って来て結局肯定的精神とでもいったものを持つようになった。 そこに存在するものは、それでよしッ!と腹の底で号びたい気持だな…」

小津の言う肯定的精神とは何か。 戦場で生死を分かつ修羅場を何度も潜り抜けて帰還した小津の頭には、まず自分を肯定しなければ少しも前には進めない現実があったのではないか。 戦友が隣で死んでいく中、生き残っている方が不思議な状況の中で、小津はひたすら自分を信じる事の大切さを身を持って学んだ。 そうした彼の人生を肯定する強靭な精神は、戦後の『晩春』以降の作品にネガとして表れている。 戦後こぞって、「民主主義的な」映画を撮り始めた多くの監督たちに背を向けるように、軍人の出て来ない、一見戦争批判のない作品を小津は撮り続ける。 真に戦争の辛酸をなめたものには、戦争映画は作れない。 もし作ったとしても、それはあまりにも戦争の現実とは程遠い茶番に等しい作品にしかならないと小津は悟ったのだろうか。

戦後の作品で特に思い入れの深い『風の中の牝鶏』や『東京暮色』の評価が低かったのは、小津にとっていささか心外だった。 共に尊敬する志賀直哉の『暗夜行路』をイメージして作ったのだが、『晩春』、『麦秋』などの穏やかなホームドラマよりは、余程当時の小津の心情が表れていて再評価されるべき作品だ。

      

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