第151回紹介作品
タイトル
トリュフォーにおける教育 : 『野性の少年』とイタール博士 〜その1〜
『野性の少年』、1970年、監督 フランソワ・トリュフォー 85分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
『シンドラーのリスト』以降、アカデミー賞に輝くなど、世間的な名声をほしいままにしているように見えるスピルバーグだが、 クロード・ランズマン監督の『ショアー』の前には『シンドラーのリスト』は風前のともしびにすぎない。 九時間を超える証言のみによって構成された『ショアー』の重みに比べれば、実在した元ナチス党員シンドラーの、潤色された物語はいかにも軽い。 スピルバーグ自身、ユダヤの出自を持つことで、この糊塗されたドラマを一層、現実に近いものと観客に錯覚させることに一役買っている。 彼はオスカーが欲しくて、このようなセンチメンタリズムに満ちたオスカー・シンドラーの物語を作ったんだと皮肉を言う人さえいる。
彼の映画作りはこの作品以後は、残念ながら、世俗的な権威を求めることに費やされていった。 彼の映画人生は『ジュラシック・パーク』まで。 その中で何といっても最大の傑作は、『未知との遭遇』(1977年作品)だろう。 この作品はその後、追加撮影と再編集を行い、80年に「特別編」として改めて上映された。 サイエンス・フィクションとサイエンス・ファンタジーを見事に融合させ、映像表現に新天地を開いたこの作品は、『E・T』などのSFロマンへとつながっていくのだが、渦巻く雲や巨大宇宙船のSFXシーンに加えて、フランソワ・トリュフォーの俳優としてのアメリカ映画初出演も話題になった。 スピルバーグはUFO研究家のラコーム博士役としてトリュフォーを起用している。
スピルバーグは、ラコーム博士役の人選に当たって、「子供の心を持っている人間」を必要としていたと語っている。 優しく、暖かくて、異様なもの、不合理なものを受け入れられる人。 『野性の少年』や『アメリカの夜』を見て、「この大人ー子供(=トリュフォーをさす)は、ぼくが描いた人物だ」と彼は思い、すぐにトリュフォーに出演交渉をしたということだ。
トリュフォーにとっては愛と教育は同義語である。 トリュフォーは子供の時、アルピニストの両親に森の中に置き去りにされた耐えがたい体験を持っている。 その体験は『野性の少年』へと発展する。 孤立や隔絶から人間を救い出すための闘いこそ教育であり、文化であると彼は考えていた。 だから『野性の少年』の中で、ヴィクトールと名付けられた野性児が人間社会になじめないのを見て、教育の必要性、つまり文化の必要性に疑問を投げかける人がいると、 トリュフォーはひどく困惑し、自分の幼児体験をおぞましく想起してしまうのである。 彼は、教育すること、また教育されることの必要性を、この作品でも自ら教師役を演じることで見る者に訴えている。 『野性の少年』は、彼自身の少年鑑別所時代の思い出をそのまま映画化した『大人は判ってくれない』とともに、教育されなかった人間の悲哀を感じさせる作品ともなっている。 『野性の少年』のヴィクトールがイタールの教育によって「人間」に変えられていくように、トリュフォー自身もアンドレ・バザンに救われ、その教育によって、映画に目覚め、人生を学んでいった。
この『野性の少年』という作品は言うまでもなく、E.M.イタール著「野生人の教育について、あるいは、アヴェロンの野生児の身体的・精神的な初期発達について」(1801年)(邦訳は福村出版から「新訳アヴェロンの野生児」、1978年、中野善達・松田清訳として出ている)を下敷きにしている。 イタールは社交的な人物ではなく、むしろ、無口でこつこつと仕事に打ち込むタイプであり、トリュフォーの演技もそれに呼応して、飾り気のない質朴な人柄を象徴するものとなっている。
1799年、ナポレオンが独裁政権を樹立したその同じ年の七月、南フランスのアヴェロンとタルヌの県境で推定年11ー12歳の野生児が発見される。 これが、後世「アヴェロンの野生児」として知られるようになった少年である。 イタールは自ら師と仰ぐロックの経験論哲学に則ってこの野生児の教育を開始する。 「タブラ・ラサ」、つまりわれわれ人間はもともと白紙状態であり、心の全内容は経験によってつくられる、とするロックの思想に基づく野生児ヴィクトールヘの六年にわたる教育も、この少年を「普通児」にすることはできなかった。 イタールは人間形成における幼小児期の体験の重要性を認識しながらも、彼を白痴と判断し、不本意ながら彼への教育を中止してしまう。 これが史実なのだが、トリュフォーの映画のラストでは、一旦家を出たヴィクトールが自らイタールのもとに戻り、イタールとヴィクトールの教育的関わりが再開されるという、見る者に希望の光を投げかける形で終わっている。 これはトリュフォー自身の教育されなかったが、教育されたかった少年時代を実によく反映している。 彼は教育されることを望んでいた、だからあくまでもヴィクトールの教育に可能性を残しておきたかったのだ。
トリュフォーの教育論の粋であるこの『野性の少年』という作品は、ジャン=ピエール・レオーに捧げられている。 トリュフォーの長編第一作である『大人は判ってくれない』以来、彼の分身アントワーヌ・ドワネルを演じてきたジャン=ピエール・レオーにこの作品を捧げることで、トリュフォー自身、自分の不幸な少年時代に訣別したかったのかもしれない。 『大人は判ってくれない』が少年鑑別所から脱走した少年のクローズアップで終わっているのに対し、『野性の少年』がイタールのもとから脱走した少年の帰宅で終わっているという事実が、そのことを実によく表している。 しかし、野性の少年ヴィクトールの目に、教育される側から教育する側へと立場を変えたトリュフォーの姿はどのように映ったのだろうか。 ヴィクトールの眼差しは、案外、『大人は判ってくれない』のドワネル少年の眼差しに似て、欝屈としたものだったかもしれない。