第156回紹介作品
タイトル
「赤狩り」時代の映画作家たち 〜ワイラー・ロージー・カザンを中心に〜 その3
紹介者
栗原好郎
作品の解説
【カザンの転向】
ワイラーらの抵抗とは反対に、カザンは友好的証人として仲間を売り、今だに映画界に根強い不信感を抱かせている。 それは先年の「アカデミー賞」の授賞式での彼に対するブーイングを見れば一目瞭然だろう。 やはり信用を一旦失うと、なかなかそれを取り戻すのはどこでも難しいらしい。 ワイラーと共に、立場は異なるが、戦後の映画界を支えたカザンは新人発掘の名手であった。 ワイラーは『ローマの休日』で「世界の恋人オードリー・ヘプバーン」を発掘し、カザンは『エデンの東』で、不世出の大スター、ジェイムズ・ディーンを見出した。 共に移民の子でありながら、全く異なった戦後を生きることになったこの二人は、アメリカ映画を語る際には欠かせない映画作家なのである。
カザンは、「赤狩り」の時代をしたたかに生き抜き、家族関係を中心とした個人的な問題と、アメリカの抱えている問題とを、微妙に交錯させながら映画を撮っていった。 そうした彼の姿勢は晩年まで続く。 カザンは言う。 「私は同時に多くの人間になることはできないんだ……私には大スペクタクルとか、喜劇とか、そんなものも作れない。 ワイラーみたいにね……。 彼は『ベン・ハー』を作るかと思えば、喜劇も撮る。 多くのことをやる人だ。 私はといえば、自分固有の領域からほとんど出られない。 私は変わるが、それは同じ物が様々な進展によって変貌していくだけだ。 ……スタイルだって変えたい。 ただ私は魔術師ではない。 あれもこれも、というわけにはいかない。 私には『天地創造』は作れないし、喜劇もダメだ。 これまでの私の作品に喜劇的なところがあったとしても、それはほんのご愛嬌だ。 私はあくまで私自身でいるのだ。 恐らく、ある意味では、 私の映画は退屈だろう。 なぜならそれはいつも同じ彼だから……。 つまり、同じ呪われたカザンだからだ!……要するに、商業映画は私の道ではないんだ」。
大きな希望を抱いてアメリカにやってきたものの、そこにあったのは矛盾に満ちたアメリカの姿であり、伝統と進歩とのぶつかり合いを描いた『荒れ狂う河』(60年)や、 物質的な利益を唯一の目的とする文明社会の混乱を描いた『草原の輝き」(61年)などはカザンの移民としての現代アメリカへの鋭い批判でもあった。 『紳士協定』(47年)や『ピンキー』(49年)ではユダヤ人問題や黒人問題とも真っ向から取り組んだ。 一貫してアメリカを描き続けたカザンは、しかし、言葉と裏腹に、常に「赤狩り」が残した暗い影を引きずっていた。