第16回紹介作品
タイトル
『シッコ』
2007年、監督 マイケル・ムーア 123分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
「シッコ」を観る
監督自ら突撃インタヴューを試み、社会性の強いドキュメンタリーを撮り続けるマイケル・ムーア。 抜群のユーモアのセンスも兼ね備えたムーア監督の映画作りは決して公平ではない。 都合の悪い事実は隠したままで、自らの主張を裏付ける現実のみで画面を構成する。 そうしたあざとさは認めるとしても、自分の生命の危険をも顧みず、 社会悪に切り込んでいく戦闘的姿勢は深く共感できるものだ。 「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三を彷彿とさせるムーア監督のインタヴューは、 「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「華氏911」と同様、その矛先を緩めない。 映画というメディアをフルに使って社会悪をたたき、住みよい世界を創り上げようと観客に訴える。 ラストで、船に乗ってキューバへと向かう患者達を率いるムーア監督の意を決した姿は、われわれ観客に鮮烈な印象を与える。
ここでドキュメンタリーの技法について少し考えてみたい。 ドキュメンタリーは普通、記録映像、記録作品という風に訳されるが、だからと言って、 そこに事実そのままが提示され、何の先入観も含まれていないということは意味しない。 むしろ、映像を撮るという行為そのものが客観的ではありえず、少なからず主観的要素を含む傾向が強い。 主観を交えず対象に迫るという姿勢とは、ドキュメンタリーは意外にも離れている。 どのショットを、どのアングルから撮るかは、製作者側に任されているわけで、 自らの主張を傍証するように映像を編集することも出来る。 だから、ドキュメンタリーが公平に撮られているという意識は捨てなければならない。 ムーア監督はドキュメンタリーの公平性という神話を逆手に取り、自分の主張を正当化するため、 情報を取捨選択して映像を編集する。 その風刺の巧みさとユーモアは傑出したものがある。 ただ、この映画が公平な事実で構成されていると即断してしまう観客も結構いるのではないか。 それも案外、ムーア監督の戦略かもしれない。 まあ、ムーア監督の怪気炎健在ということで、彼の無事を祈ろう。