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第162回紹介作品

タイトル

ヒッチについて私が知っているニ、三の事柄 〜1950年代の作品を中心に〜 その2

紹介者

栗原好郎

作品の解説

金髪の美女好みのヒッチコックの作品では、ティッピ・ヘドレンやグレイス・ケリーなどの美人女優が恐怖のどん底に陥れられる。 だから、ヒッチは女性嫌いか女性恐怖症ではないかとよく言われる。 そんなヒッチの映画の中で、美女ではなく美男をとことん窮地に追い込むという珍しい作品がある。 それは『私は告白する』(1952年)である。

主人公である美男のローガン神父を演じているのは、当時大変な人気を誇っていたモンゴメリー・クリフト。 『波止場』(1954年)のマーロン・ブランドや『エデンの東』(1955年)のジェイムズ・ディーンは、クリフトが役を蹴ったおかげで世に出てきた俳優たちなのである。 彼は、正義と力とユーモアが全てのアメリカン・ヒーローの世界に、反抗とか弱さとか、あるいは忍耐や犠牲とか憂鬱といったナイーヴな感受性を持ち込んだ最初の男優なのである。 『私は告白する』でも、追い詰められてなお、犯人の懺悔を口外しないで、じっと耐えるだけという神父の苦悩を、クリフトは見事に演じきっている。

カトリックの神父は、懺悔室での告白を、どんな事があっても口外してはならないという不文律があり、信者の告白を他に漏らすことは、神の教えに背くことになるのである。 クリフト演じる神父は心の動揺を見破られないように、終始表情を変えず、神の子としての自負を貫く。 クリフトは46歳で悲劇的な人生を終えたが、30歳過ぎのこの作品でも、すでに悲劇の匂いが漂っている。 ヒッチ作品に出たのはこれ一本だが彼の存在感は実に大きい。

さて、この作品はフランスの劇作家ポール・アンセルメの「われら二人の道義」を映画化したものである。 舞台はカナダのケベックを背景にしているが、実際にケベックでロケを敢行している。 ケベックは長い間フランス領であったため、カトリック信者が多いことも作品の主題に大いに影響を与えている。 ちなみにヒッチ自身はカトリックであるが、宗教上の問題を中心に据えているわけではないだろう。

物語は次のように展開する。 ローガン神父は教会の懺悔室で、ケラーという男から殺人を犯してしまったことを告げられる。 ケラーは神父の力添えで、夫婦して神父館に住まわせてもらっている男で、金欲しさに弁護士を殺したというのである。 神父は罪を告白するように諭すが、ケラーは、神父が懺悔を口外できないのをいいことに、自分の罪を逆に神父になすりつけようとする。 殺された弁護士と神父は実は厄介な関係にあった。 神父は、かつての恋人で今は人妻ルースとの密会の場を弁護士に見られ、そのことで彼に脅迫されていたのである。

ケラーは僧衣姿に変装して弁護士を殺しており、その姿を女学生に目撃されてもいる。 当然、神父は疑われるが、神父には動機もあり、アリバイを立証するものは何もない。 濡れ衣を晴らすには、ただケラーの告白を待つしかない。 しかし、ケラーは口を割ろうとはしない。 ルースは、神父が犯人ではないことを証言するために、夫の目の前で神父への思いを赤裸々に告白することになる。 神への信仰を貫こうとするルースではあったが、……。

    

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