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第164回紹介作品

タイトル

ヒッチについて私が知っているニ、三の事柄 〜1950年代の作品を中心に〜 その4

紹介者

栗原好郎

作品の解説

ジェイムズ・スチュアートとグレイス・ケリーというヒッチ好みの二大俳優を配した1954年の『裏窓』は、 ヒッチお得意のサスペンスとユーモアが渾然一体となった、彼の会心の作である。

コーネル・ウールリッチの短篇小説を自由に改変したものだが、中庭を隔てたアパートを主人公の部屋だけから眺め、カメラのレンズを覗く感覚で物語が進行する。 主人公のジェフにとって、「覗き」というのは秘かな愉しみとなっているわけだが、脚を骨折して動けない彼は、外部で起こっていることを自分では直接には確認できない。 そんな彼の手足となって活躍するのが、彼の恋人のリザと看護婦のステラ。 原作では看護の男となっていたのを映画では、リザとステラに振り分けて、作品に日常の感覚を持たせている。 恋人の方を売れっ子のファッション・モデルという設定にし、グレイス・ケリーが、一方、看護婦の方を実力派の性格俳優であるセルマ・リッターが演じ、華麗な中にもユーモア感覚のあふれた場面を作り出している。 各窓の住民もユーモラスで、それでいて生活にリアリティがある。 また音楽も、作曲家のピアノやラジオの現実音に限っているところなどは、43年の『救命艇』などと通ずるところがある。

この物語は水曜日の朝に始まり、土曜日の夜にクライマックスを迎え、エピローグとして翌日曜日をもって終わる。 殺人を扱いながら死体が出てこないという点でも、これはヒッチ作品ではユニークな部類に属する。 連続TVドラマとして日本でも人気があった「ペリー・メイスン」のレイモンド・バーが犯人役を好演している。 時に覗きに使う望遠レンズには、向かいのアパートが映っている。 ヒッチお得意の「レンズに映る景色」である。 しかし、望遠レンズで遠くを拡大して見ることはできても、遠くの音を捕えることは出来ない。 だから、ステラが運送屋のトラックを見に通りまで出た時、 リザとステラが花壇を掘り起こして、何もないとジェフに知らせる時、さらにリサが犯人の部屋に忍び込んで証拠の指輪を見付けた時、いずれの時もジェフの耳には彼女たちの声は届かない。 頼れるのは「目」だけという設定の面白さ。

脚を痛めてギプスをはめたカメラマンのジェフは、退屈しのぎに裏窓から向かいのアパートを覗き続けている。 普通なら、本を読むとか、ラジオを聴くとか、恋人がいるのだから彼女と時間を過ごすとかするだろうに、ひたすら「見る」ことにこだわってしまうのはジェフがカメラマンであるからか。 中庭を巡るアパートには、売れない作曲家やいつも男たちに取り囲まれているグラマーなダンサー、さらにミス・ロンリーハートとあだ名がつけられているハイミス、 ブラインドを下ろしっぱなしの新婚さん、子犬をわが子のように可愛がっている中年夫婦、ちょっと太めでお節介やきの彫刻家の女、 それに病弱の妻を抱えたセールスマンなどが住んでいる。 ある雨の夜ジェフは、住人のセールスマンがトランクを持って家に三回も出入りするのを目撃する。 その翌朝、長患いをしているそのセールスマンの妻が部屋から忽然と消えた。 ジェフはセールスマンが殺したと思い込むのだが。

昔、名うての宝石泥棒で、ナチス占領下のフランスでレジスタンスに協力していたジョン・ロビーは、警察からリヴィエラで頻発する夜盗の犯人に疑われる。 無実の罪を晴らすため、ロビーは自らの手で犯人を捕えようとする。 保険屋のヒューソンの協力を得て、まもなく金持ちの若いアメリカ人フランシス・スティーヴンスとその母親に出会う。 フランシスはロビーの大泥棒としての評判に魅せられ、彼に恋心を抱いてしまう。 犯人だと思っていたロビーが実は無実で、彼女も彼と一緒に本当の犯人を追うことになる。 真犯人は、ロビーのレジスタンス仲間の娘ダニエル・フサールと判明し、その父親も泥棒で、ロビーの友情に付け込んで彼に罪をかぶせようとしていたのだった。

デヴィッド・ドッジの同名の原作小説を、軽いコミカルな犯罪物に変え、光あふれるフランスのリヴィエラでロケーションしたのがこの『泥棒成金』(1955年)である。 この作品は1950年代の半ばに制作されたわけだが、当時は『ローマの休日』、『旅情』や『愛の泉』などのようにヨーロッパの観光名所を舞台にした映画の花盛り。 ヒッチもその流行をうまく利用し、カンヌやニースの町並みや海岸をテクニカラーの技術を存分に生かして撮っている。 多少ユーモラスな宝石泥棒を扱っているところなど、のんびりリヴィエラでの休暇を楽しんでいるヒッチを想像させる。

    

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