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第165回紹介作品

タイトル

ヒッチについて私が知っているニ、三の事柄 〜1950年代の作品を中心に〜 その5

紹介者

栗原好郎

作品の解説

悲劇と喜劇は紙一重だが、『ハリーの災難』(1956年)は、ヒッチが本来悲劇的であるべき殺人というものの喜劇性を教えてくれた異色作である。 シャーリー・マクレーンのデビュー作でもある

ヴァーモント州の楓の紅葉がまさに絵に描いたように鮮やかで美しい。 冒頭、なだらかな丘陵が黄色や赤に色付いた風景が映り、 キャメラがパンしていくと、草むらの中に大きな靴底が二つ並んでいる。 のどかな風景の中のユーモラスな死。 この死体をめぐっての村の住民の騒動の顛末をヒッチは上質なブラックユーモアを交えて描いている。

『裏窓』、『泥棒成金』と次第にサスペンスの中にコメディ的要素を加えていった後でこの『ハリーの災難』である。 人間の死は客観的に見れば喜劇になりうる。 日本の伊丹十三の『お葬式』も本来は厳粛であるはずの人間の死にまつわる話が、実に滑稽に描かれていたことか。 『お葬式』にもハリーのとぼけた死に顔のパロディが挿入されている。 死をめぐるエピソードをコメディの側面からのみ捕えたらどうなるかという実験をヒッチはやろうとしたのだろうか。

こぼれるような紅葉の美しさを背景に、グロテスクな死体が何とも不似合いに転がっている。 その死体を見ても村人は誰一人驚かない。 単に取り除かれるべき物体として死体を描きながら、ヒッチはカフカ的な不条理の世界をもイメージしている。 自分がハリーを殺したと思っている四人の人物が出てくるが、そのために三回もハリーは埋められたり、掘り出されたりする。 それは悲劇というよりむしろ喜劇なのだ。 そのユーモアの感覚はイギリス的なものである。 舞台をアメリカでもアングロ・サクソン色の最も強いニュー・イングランドに設定したことにもそれは現れているし、キャストもイギリス及びアイルランド系が多い。 シャーリー・マクレーンもアイルランド系の女優である。 人間の死という不条理なものを扱いながら、善悪の観念を超越した映画と言えるかもしれない。

    

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