第166回紹介作品
タイトル
ヒッチについて私が知っているニ、三の事柄 〜1950年代の作品を中心に〜 その6
紹介者
栗原好郎
作品の解説
ロンドンのアルバート・ホールで「ストーム・クラウド・カンタータ」の冒頭の一部を演奏しているオーケストラを背景にオープニング・タイトルが現れるのは『知りすぎていた男』(1956年)。 タイトルの最後にヒッチコックの名前が出ると同時に、シンバル奏者が立ち上がって楽器を構え、文字の消えるのを待ってこれを派手に打ちならす。 そして字幕が入る。 「このシンバルのひと打ちが、いかに平和なアメリカ人一家の運命をおびやかしたことか!」
ベン・マッケンナ一家はモロッコを訪れた際に、殺人事件に遭遇する。 殺された男のいまわの際の言葉を聞いたばかりに事件に巻き込まれ、 七歳になる子供も誘拐されてしまう。 男の残した「殺人……、ロンドン……、アンブローズ・チャペル」という言葉を手掛かりに、ベンとその妻ジョーはロンドンに向かう。 やがて、某国の高官の暗殺計画が画策されていることを突き止める。 暗殺を阻止すべく二人は満員のアルバート・ホールへ向かうが……。
ドリス・デイの「Whatever will be,will be」(ケ・セラ・セラ)はアカデミー主題歌賞をとっているが、この作品のサスペンスの重要な伏線になっている。 「When I was just a little girl,…」( わたしがまだ小さかったとき)と始まるドリスのハスキーな歌声は記憶に新しい。 『知りすぎた男』は、1934年にイギリスでヒッチが撮った『暗殺者の家』(これも原題は本作品と同じ)のリメイクであり、彼自身が同じ題材を二度映画化したのはこれだけである。
主演のジェイムズ・スチュアートはケイリー・グラントと共にヒッチお気に入りの男優であり、『ロープ』(48年)、『裏窓』(54年)、『めまい』(58年)などに出ている。 「全く特異でありながら、平凡」であり、良識ある市民の代表という役柄はゲイリー・クーパーやグレゴリー・ペックと近いが、ジミーの場合は非常に身近で庶民的な感じがする。 むしろ、所帯染みた感じすらある彼のキャラクターにもうひとつ付け足すとすると、「やろうと思ったらとことん頑張りぬく頑固者」というイメージ。 『スミス都へ行く』、『素晴らしき哉、人生!』、『甦る熱球』、さらに『グレン・ミラー物語』、『翼よ!あれが巴里の灯だ』という作品群を見れば、 そのすべてがジミーの代表作であるだけではなく、ハリウッド映画史上の不朽の名作であることに今さらながら驚かされる。 ヒッチは、こうしたジミーの「正義感の強い善人」というキャラクターを逆手にとって、その意識下にうごめく正義や善とは相反する邪悪な部分をも引き出すことに成功している。 その点、セクシーなケイリー・グラントと好対照である。
ここでこの作品にまつわるエピソードをひとつ。 ヒッチは大使を演じる俳優のイメージを決めるのに、スタッフに各国の実際の大使の写真を集めさせたらしい。 作り手がいくら頭の中で創造しても、結局は実在しないようなものしか生み出すことは出来ない。 映画は「うそ」であり、その「うそ」を作り出すためには、現実から学ぶべきことは大きい。 そのことをヒッチは一番良く知っていた。 それは次の『間違えられた男』で改めて証明されることになる。
『間違えられた男』(1957年)は、風貌が犯人に似ていたために強盗に間違えられた男と、そのために精神に異常をきたす妻の物語である。 ヒッチ張りのサスペンスであるが、ヒッチ作品中で唯一、実話を映画化したものである。 冒頭のストーク・クラブの場面からして、ドキュメンタリー的な演出であり、作品にリアリティを与えている。 ヒッチは、マックスウェル・アンダースンが書いた「クリストファー・エマニュエル・バレストレロの実話」に基づき、実話通りに作品を進行させた。
ヘンリー・フォンダ演じるイタリア系アメリカ人のマニーが、警察によって保険事務所に押し入った強盗に間違えられ、容疑者として警察に拘留される。 マニーが犯人だとする目撃者も現れ、筆跡鑑定でもクロとなり、ブタ箱に冤罪で放り込まれてしまう。 漸くのことで保釈されたマニーであったが、妻は夫の受けている冤罪が自分のせいではないかと誇大妄想にかかり、精神に異常をきたしてしまう。 ニューヨーク郊外の療養所に入所した妻の回復の見込みもたたずにいたところに、突然、「奇跡」が起こるのである。 真犯人が登場してマニーの冤罪は晴れたが、妻が療養所を出て、一家と共にフロリダで幸福に暮らすようになったのはその二年後であった。
平凡な一市民が犯人にでっちあげられるという恐怖と悲惨。 現実に起こった事件を扱ったということで、ニューヨークのロケもふんだんに取り入れ、社会性をも含んだ作品となっている。 ドキュメンタリータッチにしようとして、オール・カラーの時代に、わざわざモノクロームにしている点も、ヒッチの事実へのこだわりを表している。 実際に事件の関係者に出演してもらったりもしている。 例えば、妻ローズが入院していた精神病院やそこの医師たちも実際に画面に登場している。