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第167回紹介作品

タイトル

ヒッチについて私が知っているニ、三の事柄 〜1950年代の作品を中心に〜 その7

紹介者

栗原好郎

作品の解説

刑事スコッティは、屋根の上で犯人を追跡中に足を滑らせる。 彼は雨どいにぶら下り、墜落寸前になるが、それを助けようとした彼の部下は誤って滑り落ちて死んでしまう。 スコッティはその事件を機に高所恐怖症になってしまう。 また、部下を自分のせいで死なせたことで自責の念に駆られ、警察も辞めてしまう。 そんな時、昔の友達から妻の尾行を頼まれる。 彼は女の謎めいた行動に次第に引かれていき、ついにはお互いに愛し合うまでになるのだが…。 この尾行するうちにその女を愛するようになってしまう男を描いたのが1958年の「めまい」である。

冒頭、ソウル・バスによるタイトルバック。 目を見開いた女の一部。 すぐ目だけが拡大され、そこから渦巻きのように色とりどりの線が重なり合い、 この映画の幻惑的なイメージが暗示される。 その合間を縫ってクレジットタイトル。 目まぐるしく変わるストーリー展開や、ヒロインの二重三重と重なる人物の構造(マデリン=ジュディ=カルロッタ)、 教会の鐘楼の螺旋階段、キム・ノヴァクや肖像画のカルロッタに見られる渦を巻いた黒髪や、サンフランシスコの坂道で繰り広げられる二台の車の螺旋を描く走行、巨大なセコイヤの根株の数千年を経た年輪など、 スコッティが感じる「めまい」を象徴するものが随所にちりばめられており、これらがモザイクのように集まり、観客の側にも「めまい」を引き起こす構造になっている。 そして、その全てが「恋愛により相手から受けるめまいのような感情」につながっている。

さて、この作品は、前半と後半で、その作風ががらりと変わる。 夢のように美しく妖しい前半部から、愛する者の妄執がグロテスクに露見する後半部へとそのトーンを一変させてしまう。 ヒッチは気に入った女優がいれば、独占欲をあらわにし、時には自分のカラーに染めようと様々な贈り物をしたらしいが、相手がその好意を拒否すると、 彼は一転して激しい憎悪を燃やしたそうである。 『鳥』(1964年)の主人公メラニーを演じたティッピ・ヘドレンに迫って、拒絶され、撮影中だった『マーニー』(1964年)への演出意欲をなくしてしまった話は有名である。 以後、ヒッチはティッピを起用することはなかった。

この「めまい」という作品にも、そうした彼の隠れた嗜好が露骨に現れていないだろうか。 ジェイムズ・スチュアート演じるスコッティは映画の後半、マデリンに一方的な愛を押しつけるが、自分が騙されていたことを知ると、今度は自分が他人の女を横取りしたことを棚に上げて、 マデリンを試すために教会の鐘楼まで連れて行く。 そして挙げ句の果てに、謝罪するマデリンを罵ってしまう。 マデリンの苦しみなど微塵も理解せずに。 しかし考えてみると、恋愛とはこのような一方的な思い込みだけで進行していくものかもしれない。 こうした前半と後半の二面性は、監督自身の嗜好を表していると同時に、 恋愛というものが持つ宿命をも感じさせてくれる。 恋とは当の相手に惚れるのではなく、自分の作ったその相手のイメージに惚れることである。 その意味ではこの作品は、高所恐怖症の映画でもなく、また犯罪映画でもない、恋愛映画の傑作なのである。 作中、マデリンがスコッティに言う、「あたしを失った時、あなたは私への愛を知ることでしょう」という台詞は重い。

    

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