第173回紹介作品
タイトル
『稲妻』
1952年、 監督 成瀬巳喜男 87分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
成瀬は好んで林芙美子の小説を映画の題材として選んでいる。 今回の作品の他にも、1951年には『めし』(上原謙、原節子、杉葉子)、53年には『妻』(上原謙、高峰三枝子)、 また54年には『晩菊』(杉村春子、望月優子、細川ちか子、沢村貞子、上原謙)、さらに55年には『浮雲』(高峰秀子、森雅之)、そして62年の『放浪記』(高峰秀子、田中絹代、小林桂樹、宝田明、加東大介)と並べただけでもその嗜好が分かる。 「放浪記」で作家として認められた林芙美子は、一貫して、生活する女を描き続けた作家である。 貧乏と働く女を愛する成瀬は、彼女の作品の中に、自分の資質に合ったものを見ていたのかもしれない。 底辺の職業を転々とする女、甲斐性のない男についほだされてしまう女、男に頼らず何とか自活しようとする女など。 林の「貧乏こそ自由」という考えに共感した成瀬は、既成のモラルから自由でいられる世界を描いたのだった。
居直ったような明るさすら感じられるその世界は、失うものがない世界なのである。 『晩菊』の望月優子は、ビルの雑役婦で貧乏をしているのだが、明日のことをくよくよ考えたりせずに、パチンコに興じたりしている。 たまに玉を出すと、それでトンカツを買ってきていい気分になったりしている。 『流れる』(1956年)の杉村春子も金がないと愚痴ばかり言っているのに、次の日にはもう安いコロッケでも買ってきてにんまりしている。 「貧乏を楽しむ」とでも言おうか、ユーモラスな響きすら感じられるところが、成瀬作品をみじめなものとせず、むしろ気品のあるものにしている。
さて、『稲妻』では、二つの対照的な地域が出てくる。 行商や人だかりや生活音に支配されている下町と、人影のまばらな、時折ピアノの音が聞こえてくる閑静な山の手の住宅街。 高峰秀子演じる清子は、下町から山の手へ引っ越していくが、成瀬はむしろ失われゆく下町の面影に限りない愛着を抱いているように感じられる。