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第176回紹介作品

タイトル

新たなキューブリック論のために

紹介者

栗原好郎

作品の解説

20世紀末には映画界の巨匠が立て続けにこの世を去った。 日本では1998年に黒澤明、木下惠介、欧米では1991年にデヴィッド・リーン、1993年にフェデリコ・フェリーニ、1996年にルネ・クレマン、 そして1999年にはスタンリー・キューブリックが次々と旅立っていった。 中でも、キューブリックは作品ごとに新しい試みをし、常に違うジャンルで勝負してきた。 彼については、欧米ではアレグザンダー・ウォーカーなどが評伝、全作品論を発表してきた歴史があるが、日本では彼については個別の作品論にとどまっており、全体論としては、複数の筆者が個別の作品論を展開し、編集したものがほとんどだろう。 つまりキューブリック論としては全作品を流れるトーンをつかむところまでは行っていないのが現状ではないだろうか。 多少強引でも全体を見渡す視点が今、要請されている。 寡作である点は、タルコフスキーなどと似ているが、毎回ジャンルを自由に横断するのでどうしても一人の評者が論じるには荷が重すぎるのかもしれない。

日本に最初に紹介されたキューブリック作品は、1956年の『現金に体を張れ』だが、それ以前の『恐怖と欲望』(1953年)や 『非情の罠』(1955年)も遅ればせながら現在は公開され、彼の長編作品はほぼ出揃ったことになる。 部分的には何本もキューブリック論を書いてきたが、分析から総合へと向かう時期が来たようだ。 どんなに完璧に見える論にも必ず死角があるものだ。 とにかく考え抜く事、これが突破口になる。

  

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