第177回紹介作品
タイトル
黒澤明の『羅生門』再考 ~橋本忍と黒澤明~ その一
紹介者
栗原好郎
作品の解説
「今昔物語」に題材を得た芥川が、「羅生門」(1915年)、「藪の中」(1922年)を書き、それを下敷きに再構成し、黒澤独自の創作部分を加えたのが、映画『羅生門』である。 ただ、黒澤が最初から芥川作品に興味があったわけではなかった。 後に、脚本家として大成する橋本忍が書いたシナリオが基になっている。 第3話までの多襄丸、真砂、武弘の証言は、芥川の作品に比較的忠実に展開する黒澤作品だが、第4話とラストが黒澤の独自性を示している。 第4話として、志村喬扮する杣売(芥川の原作では、杣売ではなく木樵りとなっている)の証言を加え、直接の利害関係のない第3者の信憑性の高い話を展開したかと思いきや、 真砂が持っていた短刀を持ち去ったのは、誰あろう、この杣売だった、という、まさに誰も信じられない不信の世界が現出する。 しかし、その直後、赤ン坊を抱えて羅生門を後にする杣売とそれを見送る旅法師に、夕陽が射して希望を与えるエンディングを迎える。
この作品は、もともと橋本忍のシナリオ「雌雄」を下敷きにして黒澤も入り書き直したものだが、第三者としての杣売の話を当事者三人の後に持ってくるという設定にしたのは、黒澤の判断だった。
「雌雄」が基にしているのは芥川の「藪の中」だが、当初の橋本のシナリオでは映画にするには短すぎた。
それで橋本は小説「羅生門」のエピソードを「藪の中」に入れ込むことで解決を図る。 下人のなれの果てが多襄丸だとすることで。
しかしこれもうまくいかない。 そこで杣売の発言を最後に持ってくること、そして「藪の中」のエピソードを丸ごと入れ込めるような枠組みとして小説「羅生門」の設定を借りることを黒澤は考え付く。
ここで橋本の「複眼の映像」(文春文庫、2010年)から引こう。
黒澤の奇抜なアイディアを読んで、その見事な書き出しに唸ったという所から。
この話の組み立てなら「藪の中」が丸ごとそのまま入る。
要は定規の使い方だが、私は「藪の中」に「羅生門」を入れようと苦心惨憺し、「藪の中」から定規を「羅生門」に当てて線を引く。
ファーストシーンは「羅生門」でも、定規の線は「藪の中」からだ。 ところが黒澤さんはその定規を逆に使い、「羅生門」から「藪の中」へ線を引く。(同書、p82)
それにしても、客観的に真実を言い当てる者が不在であるという普遍の真理へと観客を導くこの映画は、ヨーロッパの観客にも充分受け入れられる要素を始めから備えていた事になる。 ただ、不信の世界で終わるには黒澤はあまりにヒューマニストだった。