第180回紹介作品
タイトル
『東京オリンピック』
1965年、 監督 市川崑 170分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
目下、2020年の東京オリンピックに向けて準備が進行している。 今回東京でオリンピックを開催する意義はいったい何なのか。 商業主義化が進んだオリンピックは世界選手権とどう住み分けるのか。 プロの出場を認めたオリンピックはもう役目を終えたのではないだろうか。
まだプロが参加できない時代、敗戦から20年に満たない日本で1964年にオリンピックが開かれた。 アジアで初めての開催と言う事で誇らしさもあったことは間違いない。 1945年8月6日広島生まれの坂井義則を聖火最終ランナーに選び、敗戦からの復興を強く世界に印象付けた大会でもあった。 しかし、後年、坂井は現在のオリンピックについて「平和の祭典などという美しい言葉は捨てた方がいい。 五輪はアマチュアの祭典でも平和の祭典でもなくなった。 金もうけのための祭典じゃないか」と述べている。 そうした現在のオリンピックが持つ負の側面がそれほど表面化しなかった時代のオリンピック。 むしろ、一番盛り上がった大会であったかもしれない東京大会の記録映画がこの市川作品だ。
当初、監督には黒澤明の名が挙がっていたが、予算等の面でうまく折り合わず、二転三転、結果的に市川の所に話が舞い込んできた。 単に選手の記録への挑戦という側面よりもむしろ、東京大会の雰囲気、試合前後の選手の表情などを積極的に撮り、後年の記録映画へも大きな影響を与えた。 グルノーブルで開かれた冬季オリンピックの記録映画である『白い恋人たち』(1968年のクロード・ルルーシュ作品)などにもその影響が見られる。
柔道の無差別級決勝で戦うオランダのヘーシンクと日本の神永、体操の花チェコのチャスラフスカの魅力的な身のこなし、マラソンのアベベの哲学者のような眼差し、 バレーボールでの「東洋の魔女」の活躍等、特筆すべき場面が目白押しだが、何と言っても、開会式と閉会式の有様が群を抜いている。 ベルリンの壁が崩れる前の東西ドイツの選手団が、統一ドイツの旗のもとに行進する姿は感動的だ。 開会式の整然とした緊張感、閉会式のくだけた国境を越えた連帯感は、東京以前にも、以後にもなかったのではないか。
この作品は「芸術か記録か」という激しい論争を生んだ。 試写後に、当時のオリンピック担当大臣の河野一郎が、「記録性がない」と発言したことで一時紛糾したが、女優高峰秀子の仲介で事なきを得たというエピソードが残っている。 開会式の前日はまさに嵐で開会式の挙行すら危ぶまれていたのに、当日は一転して快晴。 その晴れがましさが行進する選手たちやスタンドの観客の表情に読み取れる。 効果音を後でつけた個所があるが、それも演出の一つであり、記録映像といえども、決して事実そのままではないという、「まがいもの」としての映画の真骨頂をまざまざと見せられた作品であった。