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最終回紹介作品

タイトル

『イリュージョニスト』とタチ
2010年、 監督 シルヴァン・ショメ 80分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

『イリュージョニスト』の主人公はタチシェフという手品師だ。 この作品はタチシェフとアリスという少女との関わりを描いたものだが、ジャック・タチが生前に執筆した脚本をシルヴァン・ショメが脚色している。 タチシェフの動きはまさにタチそのもので、決して子供だましのアニメではない。 そこはかとない笑いとペーソスを潜ませたアニメの常識を超えた作品だ。 タチはロシア系で本名はジャック・タチシェフ。 だからタチ本人の自伝的な要素が強い作品かもしれない。 この作品のラストで、タチの『ぼくの伯父さん』(1958年)の一場面が挿入されているのも、観客を深読みの誘惑へと誘う。

お洒落でモダンなタチのパントマイムの世界には、「意味」も「物語」もない。 『ぼくの伯父さん』では、タチ演じるユロ氏の住むアパートの部屋には、迷路のような階段を上り下りしてしか辿り着けない。 われわれは微笑みながら、彼が見え隠れするのを遠くから観察するだけだ。 市場での客と店主とのやりとりや子供たちのいたずらが生むいざこざの滑稽さもその醸し出す笑いには、さしたる意味はないし、脈絡のある物語もない。

積極的に笑いを取るというスタイルをタチはとらない。 むしろ観客の方がスクリーンの中に笑いを探さなければならない。 ローラーコースター・ムービーに慣らされた人や笑いに意味を見出そうとする人には退屈で散漫に映るかもしれない。

主人公であるはずのユロ氏自身も町の点景として描かれる。 そしてモダンな建物が立ち並ぶ地域と市場がある庶民的な場所を自由に行き来しているのは、 ユロとその分身である子供たちと犬だけなのである。 いつでも誰でも笑いの主人公になる可能性を秘めているタチの世界にクローズ・アップはほとんどない。 カメラが捕えた映像をつぶさに観察することから生まれる笑い。 それは、ゴダールの『勝手にしやがれ』の中で、主人公であるミシェルとパトリシアがパリの雑踏の中では点景に過ぎず、 何ら特別な存在ではないのと相通じる。 最近のあざとい笑いに慣らされている私たちにはタチの「意図のない笑い」は恰好の清涼剤かもしれない。

  

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