第28回紹介作品
タイトル
『妻への恋文』
1992年、監督:ジャン・ポワレ 95分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
「妻への恋文」は究極の純愛映画だ!
フランス映画「妻への恋文」は名脚本家ジャン・ポワレの処女作品であり、遺作である。 カミーユを演じた主演女優のカロリーヌ・セリエとは20年来のパートナーであったポワレは、この作品の公開3ヶ月前に、 映画のもう一人の主人公ティエリー・レルミットが演じるイッポリートの死(?)に呼応するように忽然と世を去っている。 この映画の原題は「シマウマ」、いや俗語で「変なやつ」。 もちろんイッポリートを指すのは言うまでもないが、恋愛当時の情熱で妻を愛し続けるこの男の破天荒な行動が生む喜劇と その裏面としての悲劇が繰り返される。 原作は早熟の天才作家アレクサンドル・ジャルダン。 20代の前半で書いた同名のこの作品は中年のヴェテラン作家の熟練を見せている。 ただ、映画ではイッポリートが行方不明になるが、死んだかどうかは分からない。 原作では死んだと明記してある。この相違が大きな変更点である。
物語は結婚15年の夫婦を中心に展開する。 公証人イッポリートと高校の文学の教師カミーユの夫婦には二人の子供がいる。 若き日の情熱を求めるイッポリートの思いは妻には伝わらない。 そうしたある日、妻の下に匿名のラブレターが舞い込む。 次々と送られてくる愛の言葉の攻勢に、ついにホテルでの密会の誘いに乗ってしまうカミーユ。 そして謎の恋文の主との対面。前半が恋文の主をめぐるミステリー仕立てであるのに対し、 後半は夫の妻に対する過激さを一層増した行動が生む喜劇と悲しみを描いている。
この映画が往年のアメリカ映画だったら途中、二度はエンドマークが出ていただろう。 一度は恋文の主が分かった時点、二度目は「初めての」新婚旅行に出かけた時点。 しかし、いずれの場合も、観客は期待を見事に裏切られ、至福のどんでん返しを味わう事になる。 人生論が苦手なフランス人が描いた人生は、滑稽だが奇妙な共感を呼ぶ。 伏線の張り方も巧みで、夫妻のベッドシーンを覗き込む子供、寝室前の床のきしみなど、 それぞれシチュエーションを変えて笑いと感動を引き起こす。
情熱に我を忘れる者は、情熱そのものを失くした者より滑稽だが素晴らしい。 原作では、妻のカミーユが死んだ夫との夫婦の物語を書いたことになっている。 「自分の妻と再婚したくなるような本、読み終えたらすぐにでも新婚旅行をやり直すために、 びっくりしている妻をヴェニス行きの始発列車に引きずり込まずにはいられないような作品を書こうと考えた」 と作者のジャルダンは書いている。(「妻への恋文」、A・ジャルダン著、鷲見洋一訳、新潮文庫、1996年) 映画の中にも出てくるが、「危険な関係」のように、恋はゲームという一面を持っている。 恋愛を形而上の問題としても、形而下のテーマとしても扱わず、 そのない交ぜになった奇妙な複合体として描いた原作者にまず拍手。 さらに、原作では夫の死が前提になっているのを、映画では謎の失踪事件として 夫の生存の可能性を残した演出をしたジャン・ポワレに絶賛の大歓声を。 この映画と同じように「髪結いの亭主」も、愛の絶頂で死ぬという話だが、純愛映画、ここに極まる。