図書館トップ > CineTech home > 第33回紹介作品

第33回紹介作品

タイトル

「偉大なる大根役者、笠智衆」

紹介者

栗原好郎

作品の解説

偉大なる大根役者、笠智衆

 偉大なる大根役者笠智衆。小津の映画に登場する、朴訥で誠実さを絵に描いたような役者だが、笠が訥々として語る時、「まがいもの」の映画にリアリティが加わる。 杉村春子、東野英治郎や中村鴈治郎などの芸達者も小津映画には登場するが、観客は、彼らが演技していることは前提としてスクリーンを観ているはずだ。 ところが、笠についてはそうではない。笠の場合、演技を超えたその人の個性がにじみ出て、作り物の映画に血が通う。 むしろ、演技が下手であることで、逆に笠自身の、素朴で誠実な人柄が浮かび上がる。 ここに「本物」の人間がいる、と観客はフィクションとしての映画の中にリアリティを発見する。 うその画面にリアリティを持たせるには、並み居る芸達者を揃えていても、笠のような演技を超えた誠実さを感じさせる役者が必要だった。 小津が描いた世界は日常どこにでもありそうだが、絶対にありえない世界。 その虚構の世界に真実味を帯びさせるのは、そこにいるだけで登場人物に血を通わせることの出来る「大根役者」しかいない。 映画のまがいもの性を知悉していた小津は、演技の下手な、地の演技しか出来ない笠だけが、映画のリアリティを支えていることを知っていた。 だから、「若人の夢」(1928年)以来、どんな小さな役であっても笠は必ず登場した。彼の存在がなければ、うその画面にリアリティを見出すことは出来ないと小津は考えたのかもしれない。 「小早川家の秋」(1961年)のラスト・シーンでは、望月優子と百姓夫婦を演じ、火葬場の煙突を見ながらわずかなセリフを吐くだけであるが、映画全体に十分にリアリティを与えている。

 小津は、笠の演技に何度もダメを出したと言われる。 それは、笠の演技を向上させようとしてではなく、むしろ、演技をしようとする笠を疲れさせ、地のままの笠に立ち返らせたかったのではないだろうか。 なぜなら、演技はうそであり、小津は映画のまがいもの性を人一倍意識していたはずだから。

ページの先頭へ戻る