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第35回紹介作品

タイトル

「晩春」
1949年、監督 小津安二郎 108分
   

紹介者

栗原好郎

作品の解説

「晩春」以後の小津映画

 主に中下層の人々の哀歓を描いていた小津が、戦後、「長屋紳士録」(1947年)、「風の中の牝鶏」(1948年)を撮った後、 原節子の登場と共に貧困とはほぼ無縁の世界が映画の舞台となる。 志賀直哉や里見クなどの白樺派との交流がブルジョワ趣味を生んだのか、あるいは、 不世出の女優原節子の物語を編むために彼女に似つかわしい世界を選んだのか、 それとも二度の外地への従軍が小津の死生観を変えたのか、謎は一向に解けない。 小津が北鎌倉へ移り白樺派との交流が始まると、それまで頻繁に現れていた北鎌倉は映画の舞台から消える。 自分が住まう場所を映画の舞台とすることは、映画はまがいもの、という意識を持ち続けた小津には耐え難い事だったのかもしれない。 「麦秋」(1951年)までは北鎌倉が出てくるのに、「東京物語」(1953年)以降はほとんど出てこない。

 大船調と呼ばれる「晩春」(1949年)以降の作品におけるモノに対する執着は、並々ならぬものがある。 花瓶や枕ショットに映る煙突や凪いだ海などに、いとおしむ様な、なめるような、 限りあるこの世を懐かしむような監督の眼差しを感じる。 小津の従軍経験についてはすでに触れたが、生死の境をさまようような経験を重ね、 生き残って日本に帰還した人間の眼に日本がどう映ったか。 たまたま生き残ってここにいるという偶然をかけがえのないものとし、人間は変わっても、 変わらぬ自然の事物への愛着が小津の内部に頭をもたげても不思議はなかろう。 枕ショットは枕であるにとどまらず、登場人物に勝るとも劣らぬ位置づけがなされているのは、 やはり小津の戦争体験が影響を与えていると考えることができよう。

 ストーリーとしては、要約すれば2,3行で終わる作品が多い。 小津映画にはストーリーのドラマ性は欠如している。 小津にとって、マクロコスモスの中の人間の営為は、さらに究極的には人間の生き死には、 輪廻のごとく繰り返すだけで、宇宙のレヴェルでとらえればさしたるドラマ性はないのかもしれない。

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