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第44回紹介作品

タイトル

「誰も知らない Nobody Knows」
2004年、 監督 是枝裕和 141分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

 〜存在の稀薄さのゆえに〜

 母親のいい加減さにもかかわらず、父親の異なる四人の子供たちは、近所の人に悟られないように密かに共同生活を続ける。 もちろん、学校にも行かず、一日のほとんどの時間をアパートの一室で過ごす。しかし、そこには境遇の暗さと裏腹に明るさがある。 ユーモアすら感じさせる子供たちの元気の良さが、逆に子供を顧みない母親の非道さを浮き彫りにしている。 最後に一番下の女の子が突然死んでしまい、トランクに入れられて空港に行く場面などは、子供たちがけなげな分、 余計に胸を締め付けられる。どんなことがあっても、母親の帰りを信じて待つ子供たちの姿は、生命力に満ちているとも言えるが、 やはり、悲しい。四人の異なる父親も積極的にわが子に関わることはしない。子供たちはお互いに離れようとしないし、 淡々とした日々の描写は、世の中の無関心を非難することなく浮き上がらせる。 自己主張するではなし、黙々と買物に行き、料理を作り、洗濯をする。母親からの仕送りが途絶えて、 電気や水道を止められてしまっても、嘆き悲しむことなく、公園の水道の水をペットボトルにつめて急場をしのぐ。 洗濯をして鉄棒に干す場面は快哉を叫びたくなる。ああ、何てたくましい子供たちだ。 でも、誰にも知られず生きていくのはほほ笑ましいどころではなく、絶えず存在感の稀薄さが付きまとう。 だから、下の女の子が死んだのと入れ替わるようにして、不登校の女の子がメンバーに加わる。 構成メンバーが変わっても四人という人員には変わりがない。かけがえのないものという視点がこの子供たちの描き方には欠落している。 代替可能の存在とは何と悲しい存在なのか。この子供たちには生きる空間がない。だから、トランクの中に入って移動するしかないのだ。 単独に占める空間をこの世に持ち得ないはかなさ。それは限りなく悲しく、癒されることはないだろう。

居場所のない子供たちの視線はよく見ると、うつろで定まらない。監督は、こうして子供を放置した社会を安易に非難することはしない。 子供たちの存在の稀薄さを観客にそれとなく感じさせるだけである。しかし、その稀薄さは限りなく観る者の感情を引き裂く。 重くのしかかる稀薄さが、映像が途切れた後もわれわれを存在の深みに漂わせる。 自らの存在が如何ほどのものかという疑念にとらわれながら。 トランクに入らなくなった女の子が死ななければならなかったように、居場所のない子供たちはトランクが稀薄な人生を生きる唯一の空間だったのだ。 この作品がトランクに始まり、トランクに終わることの意味は大きい。

主演の柳楽優弥が2004年第57回カンヌ国際映画祭において、史上最年少(14歳)および日本人初の最優秀男優賞を受賞した作品

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