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第45回紹介作品

タイトル

「裸の島」
1960年、 監督 新藤兼人 96分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

新藤兼人が私財をはたいて最低の予算で作りあげた映像詩である。水のない島へ、水を黙々と運ぶ話である。 この水は生活用水に使うのはもちろんだが、島に住むたった四人の家族を養うわずかばかりの畑に注ぐ貴重な水でもある。 天秤棒がしわむほど注がれた水を一滴たりともこぼす事は許されない。

物語はまず、夫婦が早朝まだ暗いうちから、尾道らしき町まで伝馬船を漕いで行って、桶に水を汲む所から始まる。 その水を島に持ち帰り、朝食。食後、二人の子供のうち上の子供を船に乗せて、母親が再び尾道へ。本土にある小学校に長男を送るのである。 もちろん水を汲む桶は忘れない。父親はその間は畑仕事である。帰宅する長男を尾道まで迎えに行く母親。 一日の仕事を終えて、家族がドラム缶の風呂に入る。風呂たきは子供達の仕事である。子供でも家族が生きていくための仕事の分担は果たす。 それも黙々と。まず子供らが風呂に入り、それから父親。そして最後に母親が風呂に入る時にはもう夜空である。 こうしたこの家族の一日が紹介され、この日課が半永久的に繰り返される事を観客は悟る。 そして季節は夏から秋、そして冬、桜の季節である春へと推移し、やがてまた夏が来る。 このままこの貧しいが、しっかりした絆に結ばれた家族の日常が続くと思っていると、異変が起こって、長男が重い病気になる。 島には医者はいないから、本土の町まで医者を呼びに行くが、時既に遅く長男は死んでしまう。 悲しみに暮れる父母、弟。見舞いに来た本土の小学校の生徒の前で、荼毘に付される長男。 しかし、悲しみに暮れてばかりはいられない。不毛の大地に生きる家族の明日は自ら切り開かねばならない。

笑い声、泣き声、歌う声などは音声として聞こえてくるが、いわゆるセリフは一切ない。 彼らの表情から心情を読み取るしかない。繰り返し流れてくる林光の音楽が、セリフの代わりをしてくれる。 プロの俳優は父母役をしている殿山泰司、乙羽信子の二人だけだが、それが却って作品にリアリティを与えている。 プロの演技ができないキャストが多いことが、自然な演技を生み、作品に説得力を持たせている。 衣装代の節約のためもあってか、場面は薄着の夏を中心に展開するが、それがむしろ乾いた大地に生きる人間のドラマを見事に下支えしている。 夏の乾燥した気候の中では、注いだ水もあっと言う間に土に吸い込まれてしまう。不毛な大地に注ぐ水は、われわれ人間の乾いた心をも慈雨のごとく癒してくれる。 大自然の営みの中にあっては、人事に関わる事もそのほんの一部にしか過ぎない。 大自然の点景と化した働く夫婦の俯瞰の映像で終わるこの映画は、その事を暗示している。 一見不毛だと思われる仕事を黙々とこなす姿に、宗教感情に似た崇高な気持ちを抱くのは筆者だけだろうか。

1961年第2回モスクワ国際映画祭において、グランプリを受賞した作品

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