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第62回紹介作品

タイトル

「映像のリアリズム追求の果て」

紹介者

栗原好郎

作品の解説

3Dは観客が映画の中にいるような錯覚を覚える。それを臨場感とは呼びたくないが、最近では我も我もとその流行に乗っかっていく監督が多くなった。 映画はリアリズムだと公言して憚らない人物もいるが、つまるところ、映画はウソの芸術だ。本来、リアリズムとはかけ離れた、人間の錯覚を利用した、まがい物としての芸術、映画。

世界貿易センターへのハイジャック機の衝突を観た後では、いかなる映像もそのリアルさを減じてしまう。 「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだが、「事実は映画より奇なり」と言い換えても面白いかもしれない。ただ、小説の、 あるいは映画の真実は、しかし、まがいものの中にも十分見て取れる。ウソであるから伝わる真実もある。 『ライフイズビューティフル』はナチスの収容所を描いているが、それまでの陰惨なだけの収容所の描写が、ユーモアとファンタジーにあふれた場面へと変容している。 だがむしろ、リアリズムに徹した表現より却って、収容所の真実を観客に伝えているように見えるのはなぜか。

収容所を実際に体験した者には、どんな映像も事実を伝えるには十分ではなく、それは実際に従軍し、敵と戦闘を交えた者にとって、 いわゆる戦争映画が真実を伝ええないのと同じだろう。小津は2度徴兵に応じたにもかかわらず、いや徴兵に応じたからこそ、 戦後、戦闘そのものも、兵隊も、自分の映画に登場させなかった。いかなる表現方法をとっても、実戦を経験した者には、絵空事にしか見えなかったのだろう

最近、田坂具隆の『乳母車』(1956年)を観たが、愛人を作った父親を強く断罪する場面もなく、愛人との間に出来た子供を守ろうと周りが奮闘するというもの。 原作は石坂洋次郎だが、とってつけたような幸福な結末に現代の観客はどういう反応をするだろうか。田坂は同じ石坂原作の『陽のあたる坂道』も映画化している。 映画史的に見れば、アクション映画とは一味違う石原裕次郎の新しい魅力を引き出したという事になるのだろうが、実は田坂は広島で被爆している。 そして原爆症を再発し、原爆体験を伝えることに絶望的になっている。被爆した者は、被爆を描けない。どう工夫してもリアリズムの追求の果てには、 被爆の真実は見えてこない。かと言って、ユーモアとファンタジーで描けるほど、体験者は自分を客観的に見れるだろうか。 ウソの描写に耐えられるだろうか。

     

   

   

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