第64回紹介作品
タイトル
『マイセン幻影』
1992年、監督 ジョルジュ・シュルイツァー 99分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
コレクターが主人公の映画と言えば、あのテレンス・スタンプ主演の、その名も『コレクター』(W・ワイラー監督作品)がある。 性的に抑圧されたことで、奇妙なまでに恐ろしい情熱を持って蝶を集めるフレディという男が、ある時、ミランダという美学生をコレクションに加えようとする。 蝶のように標本となる運命を担ったこの美女を、サマンサ・エガーが好演していたのを思い出す。 こうした異様さは、この作品にはないが、 コレクターがもつ、対象への愛撫にも似た執着、それは限りない欲望のエクスタシーへと連なっていく。 集める、物狂おしいまでに集めることへ人間を駆り立てるものは、いったい何なのか。 生きることと集めることは同義語だし、集めることをやめた時、 それは死を意味するのかもしれない。
マイセン磁器は、十八世紀初頭の東洋趣味の流行の中、日本や中国の陶磁器の持つ絢爛たる彩色美を再現しようとして生まれたものであるが、
そこには、神秘に包まれた東洋への憧憬が感じられる。 『二十一匹の猿のオーケストラ』というマイセン人形を揃えるために、最後の『ヴァイオリンを弾く猿』を競り落とした初老の男ウッツ。
念願叶って、『猿のオーケストラ』をすべて我が物とした彼は、見るべきものは見つ、自分が蒐集したマイセンに囲まれて、充足しながら、死を迎える。
しかし彼の死後、博物館に没収されるはずだった、厖大なコレクションはかけらも残っていなかった。 彼の死とともに、彼の生きている証だったマイセンも消えてしまったのか。
ウッツが、自分のコレクションを永遠に自分だけのものにするためにどうしたのかは、映画を見てのお楽しみ。
集めるのと同じように、破壊するのも一つの情熱であるし、
聖なる物は、それ自体が破壊へと誘いかける。 破壊は人間が持つ、「プリミティヴな情熱」なのか。 妄想に取り付かれた人間は、
この破壊的な力とともに類いまれな創造力を発揮する。 ウッツ然り。