図書館トップ > CineTech home > 第68回紹介作品

第68回紹介作品

タイトル

『ギルバート・グレイプ』〜陽性の悲しみのドラマ〜
1993年、 監督 ラッセ・ハルストレム 117分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

故郷を遠く離れて望郷の念にとらわれるのでもなく、また故郷喪失の感情に浸るのでもなく、ただただ故郷の田舎の風景は、 次第にこの若者の心を憂うつにしていく。 知的障害のある弟と過食症で鯨のように太ってしまった母親のために、 自分を犠牲にして生きているこの若者ギルバート。 彼の心には故郷や家族に対する複雑な感情が渦巻いている。

この作品の監督は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のラッセ・ハルストレム。 『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』にも不幸な境遇にめげず、 けなげに生きる少年イングマルが登場する。 兄にはいじめられ、父は行方不明、母は精神を病んでいる。 しかしイングマルはこの母親と犬のシッカンを心から愛しているし、人工衛星に乗せられて死んでいったライカ犬の運命を考えれば、 まだ自分の方が幸福だと思っている。 他との比較において幸福を考えることは悲しいことであるが、彼は家族の絆と愛情、 優しさと慈しみをどんな時にも忘れない。 今回の作品でも形を変えて、このテーマは引き継がれている。

弟や母親のために黙々として働きながらも、不如意な状況に対するギルバートの不満はところどころで頭をもたげる。 銀色に輝くキャンピングカーの隊列が冒頭とラストに現れるが、それは彼の移動するものへのあこがれを象徴している。 車がエンストしてしばらくギルバートの町に滞在することになる美少女ベッキーとの出会いも、実は動けない彼の動いている少女への憧憬から生じる。

不幸を我が身に引き受けて「まるで音楽なしで踊っているような」町で生きている彼には、しかしそれほどの悲壮感はない。 その分、屈折しているかもしれないが、何かを犠牲にすることで家族の絆が一層強くなるかというと、必ずしもそうではない。 イングマルは最愛の母と愛犬シッカンを失ったし、一方ギルバートも長年世話をしてきた母を失う。

ハルストレムはレッドフォードとは異なった方法で家族の問題にこだわり続ける。 永遠に解決することにない物語としての家族を描きながらも、 みじんも暗さがない。 つまり陽性の悲しみのドラマなのだ。

   

ページの先頭へ戻る