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第71回紹介作品

タイトル

『太陽に灼かれて』
1994年、 監督 ニキータ・ミハルコフ 135分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

スターリン体制下のソビエトには粛清の嵐が吹き荒れ、彼と共に戦ってきた多くの同志は次々に処刑されていった。 この映画では、ソビエトの暗部が実にソフトに、否定も肯定もされず、余計な説明など省いた形で、観客に提示されている。

ドミトリという若い男が、革命の英雄であるコトフ大佐のもとを訪れる。 大佐には既にマルーシャという妻があり、ナージャという娘もいた。 実はドミトリとマルーシャはかつての恋人同士。 時折、過去に酔いしれる二人を見ながら、観客は彼らの過去における三角関係を想像してしまう。 ドミトリはマルーシャとの仲を引き裂いたコトフへ復讐しようというのか。 それともただ単に昔日の恋の炎を燃え上がらせようというのか。 そうこうする間に、ドミトリが秘密諜報員だということがわかり、コトフをクレムリンへ連行するという結末を迎える。

歴史的背景の複雑さもさることながら、登場人物たちの行動の動機がはっきりしない。 ドミトリがコトフを密告したのは、恋人を奪いとられたことへの腹いせなのか、 あるいは職務上の選択なのか。 こうしたあいまいさはミハルコフ監督の他の作品にも見られるものだ。 例えば『黒い瞳』の中でのアンナの存在。

行動の動機というものが実際にはそれほどはっきりしないことの方が案外多いわれわれの日常から考えれば、この作品のあいまいさはむしろ、 ストレートに理解されうるものかもしれない。 こうした両義的な空間にぽっかり開いた穴。 つまり画面と画面とを結ぶ因果関係の欠如は、底なしの深淵を思わせ、 見る者に、これから起こる悲劇を暗示させる。 謎の部分、説明されない部分をわれわれは自分の物語で埋めていく。 そうした作業を経ることで居心地の悪さを消し去ろうとするわけだが、 ミハルコフ監督は複数の物語展開の可能性を残すことで、われわれが作ろうとする物語に広がりを与えている。

悪魔的でありつつ優雅さを失わないドミトリ役のオレグ・メーシコフの演技は絶品。 また監督のミハルコフ自身が主役のコトフ大佐を、さらにその娘ナージャ役を監督自身の愛娘が演じ、 絶妙のコンビネーションを見せているのも見逃せない。

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