第101回紹介作品
タイトル
『お早よう』論の余白に
1959年、 監督 小津安二郎 94分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
『萌の朱雀』のラスト近くの村の人々の正面からのショットは、さながら記念写真のようで、それは小津の映画の登場人物のあの硬質の表情とよく似ている。 人生のはかなさ、記念写真を見ることでしかさかのぼれない過去の人生。 アニエス・ヴァルダの『幸福』の中に巧みに挿入されたスナップショットは、いかにも幸福な場面の連続に見えるが、実はそのひとつひとつが個別に完結した人生の断片に過ぎない。 そこにひとつに集約された物語への発展の可能性はないわけで、描かれた、いや映された「幸福」は決して長続きするものではない。 持続しない幸福は未来へ向かうことなく、限りなく過去へと、懐かしい思い出へとわれわれを誘う。 しかし、それが行き着く先は死であり、映画を観る事で、観客は死へと向かう列車に乗る事になる。
それでは、なぜここまで人間は幸福にこだわるのか。 幸福とは案外些細な事の上に成り立っているわけだが、 小津の『お早よう』は、日常生活の中の平凡なコミュニケーションを使ってコミカルにその真髄を垣間見させてくれる。 一見無意味な時候の挨拶や、放屁が夫婦間の無言の(?)コミュニケーションを生む滑稽さの中に、案外、幸福が潜んでいることに気づかせてくれる。