第114回紹介作品
タイトル
『マルメロの陽光』
1992年、 監督 ビクトル・エリセ 139分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
現代のリアリズムの画家アントニオ・ロペスの制作過程を追ったセミ・ドキュメンタリーである。 監督はスペインのビクトル・エリセ。 自宅の庭に植えたマルメロを、厳密に構図を決めて描き始めるロペス。 マルメロの実が熟すに従って、重みで構図が変化するわけだが、普遍の位置を決めるために、構図が変わる毎に絵の具で印を入れる。 そしてまた描き始める。 雨が降り続くとあれば、覆いをかけて濡れないようにするが、マルメロの実に当たる光を描くことがロペスの意志だとすれば、 雨が続くことは制作の断念につながる。 最後にロペスの妻が、死んだようになったロペスを描いている場面が出てくるが、これは夢の描写か。 結果的には、マルメロの絵は未完のまま残されることになる。エリセは『ミツバチのささやき』(1973年)の中でも、アナと言う幻想と現実の間を揺れ動く少女を描いているが、 『エル・スール』(1982年)にも共通する夢と現実との邂逅が、この『マルメロの陽光』のラストにも象徴的に登場する。
ロペスの絵画には未完のものが実に多い。 完成するということへ重きを置いていないように見える。 未完のままの作品が展示されることの異例さも、生成の画家ロペスには似つかわしいのかもしれない。 むしろ、生成する現象に深く添い続けることが、彼にとっての絵画の真実なのだろう。それはこの映像を撮ったエリセ自身にも言えることだが。
ロペスはマドリードの町をよく描いている。 どれも精密な描写ではあるが、遠景の焦点が合う部分に比べて、前景の描き方がよく見ると粗いような気がする。 でも人間の目に映った風景では、前景はぼやけているのが普通だ。 いわゆるオート・フォーカス状態にはならないわけで、写真で捕らえたような風景は目には映らない。 だから彼は、アトリエで作業をするのではなく、毎日、「現場」に出かけて行き、制作を続ける。 自分の目を信じて。 ロペスは町の息吹を感じながら描くことで、作品に生命を吹き込む。 彼にとって感情のないリアリティなど存在しない。 彼の絵を見る人間の視点にこだわるロペスの絵画は、かつてのアナログ時代の映画を彷彿させる。