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第116回紹介作品

タイトル

『ぼくの大切なともだち』
2006年、 監督 パトリス・ルコント 96分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

パトリス・ルコントは醒めた監督である。 まあ、フランスの監督にはよくあるタイプなのだが、映画に教訓を盛り込まない。 同監督の『髪結いの亭主』(1990年)を観た時も思ったが、「なぜ」という問いに映画は答えてくれない。 むしろ、観客自身がその「なぜ」という問いの答えをそれぞれに考え始める。 集中ではなく拡散、誰にも当てはまるような模範解答が人生にはないように、観客の数だけ推理はあり、さまざまな映画の解釈が生まれてくる。

『ぼくの大切なともだち』では、美術商の中年男の友達探しの中に、小津やチェーホフばりの醒めたユーモアすら感じられる。 冒頭は教会での葬儀の場面だが、会葬者はわずか7人。 その後、オークション、美術商フランソワの誕生パーティーと続くのだが、 彼が、自分も出た教会の葬儀には会葬者が少なかった事を話題にし、自分が死んだ時は、もっとたくさんの人が来てくれるよな、 とパーティーに集まった「友人たち」に言うと、みんなに、お前の葬儀なんて出ないよ、と口々に言われてしまう。 そこで友達探しに奔走する事になる。 最終的に陽気で気のいいタクシーの運転手ブリュノに目を付けてアプローチする事になるのだが。 ただ、ブリュノが友達作りの名人で、フランソワが彼に導かれて友人の大切さに目覚める、という単線的な構造を取っていない。 ブリュノも友人に自分の妻を取られてしまい、両親との寂しい関係だけで生きているクイズ・オタクにすぎない。 要するに、座標軸の一方が固定されているのではなく、縦軸と横軸の双方が動く不安定な座標軸を持つのが、人間関係なのだ。 そうした事をこの映画は、教訓としてではなく、現象を垣間見る、といった風情で、さらっと暗示する。 人間関係など、どんなに上手く説明しても、所詮、それは説明に過ぎず、千差万別、普遍的なものは何もないという事に今更ながら観客が気づく所で映画は終わる。

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