第150回紹介作品
タイトル
『あるマラソンランナーの記録』
1964年、 監督 黒木和雄 63分
紹介者
栗原好郎
作品の解説
〜シネテック連載を終えるにあたって〜
今回でこの連載は150回を迎えます。 図書館からの依頼で、ギャラなしで始めたのでしたが、まさか150回まで続くとは自分でも考えていませんでした。 名画とは観られない傑作では、というアイロニカルな表現がありますが、埋もれた映像作品を紹介することは先に生まれた者の義務かもしれません。 少なくとも僕はそう思って、皆さんが自分では手に取ることがないような作品を選んで論じてきました。 でも150回も続けているとマンネリ化は避けられません。 ここらで一応の終止符を打ちます。 反響が聞こえてこなかったことは残念でしたが、 10年先、20年先にふと手に取る映画の紹介をしたと思えばいいのでしょうか。 将来の映画の観客に向けてのメッセージを送り続けた意味はいずれ分かります。
座右の書、座右の銘という言葉がありますが、「座右の映画」、つまり人生の途上において、折にふれて観返したくなるような映画を探して下さい。 それはまさに「人生の宝」になります。 行き詰った時に勇気づけられ、うれしい時にその喜びが倍加するような作品が一作でもあれば、人生は美しい、と思えます。 ロシアの革命家トロツキーがメキシコシティのトーチカの中でスターリンの刺客を待っていた時の言葉が印象的です。 「いろいろなことがあるけれど、人生は美しい、生きるに値するものだ」 この言葉に触発されてイタリアのロベルト・ベニーニは『ライフ イズ ビューティフル』を撮りました。
それでは最後の作品紹介です。 地元福岡のマラソンランナー君原健二を追ったドキュメンタリーです。
黒木はスタート時点ではドキュメンタリーの監督であった。 後年は劇映画の監督として活躍し、『TOMORROW 明日』(1988年)、 『美しい夏キリシマ』(2002年)、 『父と暮せば』(2004年)は戦争レクイエム三部作と呼ばれる。 その黒木の最後の記録映画が『あるマラソンランナーの記録』。
1964年の東京オリンピックのマラソン候補だった君原健二の練習風景を撮ったものだが、話すのが苦手な君原にインタビューも試みている。 寡黙な君原が言葉を選んで淡々と語るシーンは、虚飾のない人間の実相を浮かび上がらせている。 ただ、走る、とにかく走る、憑かれたように走る君原の姿を追ううちに、観客も自分の人生を彼に重ねる。 無理な練習がたたって君原が故障に泣く場面では、観客はそこに自分の挫折した姿をダブらせる。 とにかく君原は愚直なくらい真面目な男だ。 彼は次のメキシコ大会(1968年)では見事、銀メダリストとなる。 東京オリンピック銅メダリストの親友、円谷幸吉の突然の死に際し、メキシコ大会での日の丸を誓った君原は、まさに夢遊病者のようになりながら走り抜いた。 「円谷さんの分まで頑張れました」という言葉を残しながら。 そうした彼の飾らない姿が画面に映し出される時、走る事が人生そのものとなった君原の潔い姿に満腔の拍手を送りたくなる。 君原は不器用な人間だが、不器用な人間が持つひたむきさが観客の胸を打つ。キャメラはその彼を追うだけだ。
ドキュメンタリーには、「ヤラセ」と演出という問題がつきまとうが、そもそも映像が虚構性を帯びたものであり、要は映像にリアリティーがあるか、否かが問題とされる。 そのリアリティーも自分の生きてきた人生からしか感じ得ないのが私たち人間の宿命だ。 君原の姿に映像を超えたリアリティーを感得した観客は何と幸運な人たちか。