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第24回紹介作品

タイトル

『ゴジラ』
1954年、監督:本多猪四郎 97分

紹介者

栗原好郎

作品の解説

ゴジラ映画の光と影

 ゴジラ映画が子供向けに創られるようになって久しい。 昭和29年に初めて登場した時とは、その思想的背景も造形も異なるゴジラが、 当時の日米関係などを反映しながらスクリーンに登場していった。 そして悪玉から善玉へとゴジラの性格づけが変化していくにつれて、 次第にゴジラ映画は自己矛盾を起こしていく。当初、核の落とし子的性格が強かったものが、 何時の間にか子供たちのヒーローへと変わり、大人のファンを無くしていったのも事実だ。 ただ、意外かもしれないが、子供向けにゴジラ映画を変容させていくこと自体は、 特技監督であった円谷英二の希望でもあった。

 ゴジラ映画は、「キングコング」(1933年)を見て感激した円谷の 日本版「キングコング」を創りたいという夢を叶える形でスタートしたのだったが、 95年の「ゴジラ VS デストロイア」で一応の幕を閉じた。 しかし、その三年後にはアメリカで再開。アメリカ版はゴジラを怪獣ではなく、 むしろ、太古に存在した恐竜として造形している。 そして、核実験への抗議という形ではなく、核兵器を使うことを肯定する側面を見せている。

 日米のゴジラ像には大きな隔たりがある。 アメリカ版のゴジラを創ったエメリッヒの脳裏をよぎったものは、人間の力の偉大さであり、 それを以てすればどんな自然の猛威も克服できるという楽観主義であろう。 が、現在の世界の状況を見ればそのような楽観論は許されず、地球規模の自然破壊が進む中で、 われわれ人間は、自然の力の前に畏怖の念を抱きながら立ちすくむだけなのかもしれない。 ゴジラはあくまでも、人間の驕りへの警鐘でなければならない。 日本でもアメリカ版ゴジラへの反撃としてゴジラ映画制作が再開されたが、まもなくその長い歴史を閉じてしまった。

 長い間、東宝のドル箱としてシリーズ化されたゴジラ映画は、 当初毎年のようにスクリーンを飾ることになる。ゴジラ人気にあやかったテレビ番組も登場する。 「ウルトラQ」とそれに続く「ウルトラマン」がその代表的な例だが、 後者の方は現在に至るまでそのシリーズは継続中である。さらに東宝以外の松竹などでも 「宇宙大怪獣ギララ」を撮るといった具合で、60年代の日本は空前の怪獣ブームに湧いた。

 しかし、こうした怪獣ブームの広がりと共に、怪獣がアイドル化していったことは否めない。 文明社会へのアンチ・テーゼとして登場したはずのターザン映画も、 シリーズ化が進むにつれ、紋切型のパフォーマンスに陥っていった。 水爆実験への抗議として、現実世界を超越する神の怒りを象徴するものとして登場したはずのゴジラも、 アメリカではミサイル二発で息の根を止められてしまう。しかしもともとゴジラは人知を越えた存在、 それを抹殺するのにミサイルという実在の武器は使えないはずである。 日本のゴジラが神の視点で貫かれているのに対して、アメリカ版は動物的本能を強く持った存在として、 われわれの前に現れる。

 核に対する考え方においても、原爆を落とされた国と原爆を落とした国との意識のずれを、 日米双方の画面から感じることができる。核を人間がコントロールできないものと見做し、 それに拒否反応に近い対応をする日本と、核を人知の及ぶ範囲内で、 あくまで人間がコントロールできるものとして描くアメリカとの姿勢の違いが、 それぞれの映画の構成に明確に現れている。

 海外にも受け入れられる普遍性を持ったゴジラだが、やはり、ゴジラは深い闇を引きずって 進む死の影そのもの、荒ぶる神であるべきだろう。

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