第112回紹介作品
タイトル
死者の眼差し 〜戦後の小津映画に表れる戦争の影〜
紹介者
栗原好郎
作品の解説
小津は戦争を描いていない、特に戦後の小津は、白樺派との関わりもあって、戦前のような貧しい庶民の生活を描いていない、とよく言われる。 まず、軍人が出て来ない。 もちろん、戦闘場面は皆無である。 自ら二度も従軍したにもかかわらず、小津が戦争を描かない事へのいらだちを隠そうとしない人はまだいる。 しかし、正面から戦争を描いていないからと言って、小津は戦争を忘れたわけではなかった。
紀子三部作と言われる『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)の中で、原節子演じる紀子はまさに戦争と切り離せない存在として演出されている。 『晩春』では、婚期の遅れた理由として戦時中の無理がたたった事を挙げているし、『麦秋』では、戦死した次兄の省二と仲のいい友人だった子持ちの矢部と結婚する。 そして『東京物語』では戦死した次男(昌二)の妻として原節子は紀子を演じている。 また、『麦秋』や『小早川家の秋』(1961年)では輪廻や無常という事が主題となっている。 人は必ず死ぬが、また誰かがせんぐり、せんぐり生まれてくる。 世の中はこうした繰り返しであり、諸行無常である。
小津はなぜ戦争を描かなかったのだろうか。 おそらく戦後すぐの段階ではそうした戦争をポジとして描こうとしたかもしれない。 しかし、そうした戦争ごっこと実際の戦争はあまりにもかけ離れていて、とても小津自身満足できるレベルに到達しないと気付いたのだろう。 だからむしろ、戦争をネガとして描くことで、戦争の傷跡を浮かび上がらせる、という方法を選んだのかもしれない。 紀子三部作の場合、紀子の運命は全て戦争と背中合わせである。 彼女の運命は小津も従軍した戦争によって変容する。 遺作となった『秋刀魚の味』(1962年)に流れる『軍艦マーチ』の何と悲しく、滑稽な事か。 戦争は生き残った者にはノスタルジーになりうるという事を小津は知悉していた。 キューブリックが『突撃』(1957年)のラストで描いたように。
小津は戦時中に、最愛の弟分を戦病死で亡くしている。 山中貞雄である。 山中の将来性を信じて疑わなかった小津が、山中の死の知らせをどんな思いで聞いたか、想像するに余りある。 山中の死後、虚無的でさえあった気持ちを映画へと切り替えた小津は、戦後、従来の長屋の人情ものとして『長屋紳士録』(1947年)を撮る。 しかし、戦後の日本の変わりようは、小津をそうした人情ものの世界から離間させる。 翌1948年には復員兵を登場させ、戦後の過酷な現実に目を向ける。 しかし、作品は不評であった。 脚本家の野田高梧もこの作品に批判的であった。 野田の批判を受け入れた小津は、以後死ぬまで野田と共同で脚本を書き、『晩春』以降のいわゆる大船調と言われる作品世界を構築していくのである。 死者から見た現実を浮かび上がらせながら。